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2018年11月17日00:00

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アルマ51章

01 さて、ニーファイの民の裁き司の統治第二十五年の初めには、彼らはリーハイの民とモリアントンの民との間に彼らの土地の事について和解を確立しており、第二十五年が平穏に始まった。
02 しかし、国内の完全な平和は長くは続かなかった。大裁き司のパホーランについて民の中に争いが起こったのである。というのは、法律の条項を少し変えて欲しいと望んだ者達が民の中にいたからである。
03 しかし見よ、パホーランは法律を変える事を望まず、また法律が変えられるのを認めようとも思わなかった。その為、法律の変更について請願の形で意見を表明した者たちの言う事にも、彼は耳を傾けなかった。
04 その為、法律が変更される事を願った者達は彼に腹を立て、彼が引き続き国の大裁き司であるのを望まなかった。その結果、その件について激しい論争が起こったが、血を流すには至らなかった。
05 さて、パホーランを裁き司の職から退ける事を願った者達は、王政党と呼ばれた。彼らは法律を変更して自由政体を廃し、国を治める王を立てる事を願ったからである。
06 また、パホーランが引き続き国を治める大裁き司でいる事を願った人々は、自ら自由党と称した。このようにして、民の中に分裂が生じた。自由党の人々は、自由政体によって自分達の権利と宗教の特権を守る事を誓った、即ち聖約したからである。
07 さて、両者の争いに関するこの件は、民の声により解決された。そして、民の声により自由党が支持を受け、パホーランは裁き司の職を保った。これはパホーランの同胞と自由を願う多くの人に大きな喜びを与えた。また、このようにして彼らは王政党の者達を沈黙させたので、王政党の者達は敢えて反対せず、仕方なしに自由の大義を守る事になった。
08 王を立てる事を支持した者達は上流の生まれの者であり、自分が王になろうとしていた。そして彼らは、民を治める権力と権能を得ようとした者達から支持を受けた。
09 しかし見よ、このような争いがニーファイの民の中にあったこの時は、危機であった。アマリキヤが再びレーマン人の民の心を煽って、ニーファイ人の民に対して反感を抱かせていたからである。そして彼は、自分の国の全地方から兵を集め、彼らを武装させ、着々と戦争の準備をしていた。彼はモロナイの血を飲むと誓っていたからである。
10 しかし見よ、後に分かるように、彼が立てた約束は無分別なものであった。それでも、彼はニーファイ人を攻める為に、自分自身と自分の軍隊を備えていた。
11 彼の軍隊は既にニーファイ人の手によって何千人も殺されていたので、その人数は以前程多くなかった。しかし、多大の損害を被っていたにも拘らず、アマリキヤは驚く程の大軍を集めたので、ゼラヘムラの地へ向かう事を恐れなかった。
12 真に、アマリキヤ自身がレーマン人を率いて下って来た。それは裁き司の統治第二十五年の事であり、大裁き司パホーランに関する争いの問題が収まり始めた丁度その時であった。
13 さて、王政党と呼ばれた人々は、レーマン人がニーファイ人と戦う為に進んで来ていると聞いて内心喜んだ。そして彼らは、武器を取る事を拒んだ。彼らは大裁き司と自由を願う人々の事を酷く怒っていたので、武器を取って国を守る気持ちがなかったからである。
14 さて、モロナイはこの事を知り、更にレーマン人が国境を越えているのを知ると、自分がこれまでそれらの人々を守る為に精いっぱい努めてきたにも拘らず、彼らが頑なであるのを非常に怒った。彼は激怒し、彼の心は彼らに対する怒りでいっぱいになった。
15 そして彼は、民の声を受けて、国の総督に請願書を送ってそれを読むように求め、自分達の国を守るようにそれらの離反者達に強要する力と、また従わなければ彼らを処刑する力を自分(モロナイ)に与えて欲しいと願った。
16 彼が第一に成すべき事は、民の中にこのような争いと不和をなくす事であった。というのは、見よ、民の中の争いと対立がこれまで彼らの被った全ての滅亡の原因となってきたからである。そしてそれは、民の声に応じて聞き届けられた。
17 そこでモロナイは、自分の軍隊に、それら王政党の者達と戦って彼らの高慢と特権意識を打ち倒し、彼らを地に倒すように、そうでなければ彼らに武器を取って自由の大義を守らせるように命じた。
18 そこで、軍隊が彼らに向かって進軍し、彼らの高慢と特権意識を打ち倒した。彼らの中で武器を振り上げてモロナイの兵に立ち向かう者は、切られて地に倒された。
19 そして、離反者達の中の四千人が剣で切り倒された。また、戦いで殺されなかった彼らの指導者達は、捕らえられて、すぐに審理する暇がなかったので牢に入れられた。
20 また、残りの離反者達は、剣によって地に打ち倒されるよりも自由の旗に従う事を選んだ。そして、仕方なく自分達の櫓と自分達の町に自由の旗を掲げ、また国を守る為に武器を取った。
21 このようにして、モロナイは王政党の者達を滅ぼし、王政党という名で知られる者は誰一人いなくなった。また、このようにして彼は、高貴な血統の出であると主張した者達の強情と高慢をくじいた。そして彼らは、同胞のように謙遜になり、奴隷とならない為に勇敢に戦うようになった。
22 さて見よ、モロナイがこのように自分の民の中の戦いと争いを鎮め、民の中に平和と秩序を確立し、レーマン人と戦う準備をする為の規則を定めている間に、レーマン人は海岸に近い地方にあるモロナイの地に入って来た。
23 そして、モロナイの町にいたニーファイ人は耐えられる程強くなかったので、アマリキヤは彼らを追い出し、多くの者を殺した。そして、アマリキヤはその町を占領し、真に全ての砦を占領した。
24 そこで、モロナイの町から逃げ出した人々は、ニーファイハの町へ行った。また、リーハイの町の民も集まって準備を整え、レーマン人を迎え撃つ用意をした。
25 しかし、アマリキヤはレーマン人にニーファイハの町を攻めさせようとしないで、海岸近くに彼らを留め、それぞれの町にそこを守る兵を置いた。
26 このようにして、彼は進軍を続けて、ニーファイハの町、リーハイの町、モリアントンの町、オムナーの町、ギドの町、ミュレクの町などの多くの町を占領した。これらの町は全て海岸に近い東の国境地方にあった。
27 このように、レーマン人はアマリキヤの悪知恵と無数の軍勢によって非常に多くの町を手に入れた。しかも、これらの町はどれも皆モロナイの砦の築き方に倣って強固に防備が固められており、レーマン人はこれらを全て自分達の砦とした。
28 そして、彼らは行く手のニーファイ人を追い払い、また多くの者を殺しながら、バウンティフルの地に進軍した。
29 ところが、彼らはテアンクムと相対する事になった。このテアンクムは嘗てモリアントンが逃走しようとした時に彼を殺し、彼の民の前に立ちはだかった人である。
30 そして、このテアンクムがここでまたアマリキヤの前に立ちはだかったのである。この時アマリキヤは、バウンティフルの地とその北方の地を占領しようとして、大軍を率いて進んでいた。
31 しかし見よ、テアンクムとその兵が偉大な戦士であった為に、アマリキヤは彼らに撃退されて望みを遂げる事ができなかった。テアンクムの兵は一人残らず体力の面で、また戦いの技術の面でレーマン人をしのいでいたので、彼らはレーマン人よりも優位に立った。
32 そして、テアンクムとその兵はレーマン人を休みなく攻め、暗くなるまで彼らを殺した。それから、テアンクムとその兵はバウンティフルの地の境で天幕を張った。また、アマリキヤも海岸に近い境の地で天幕を張った。彼らはここまで追われたのである。
33 さて、夜になると、テアンクムとその部下は夜に紛れて密かに出て行き、アマリキヤの宿営に忍び込んだ。すると見よ、レーマン人は、日中の戦いと暑さの為に酷く疲れて眠り込んでいた。
34 そこでテアンクムは王の天幕に忍び込み、投げ槍を王の心臓に突き立てて王を即死させたので、王は僕達を起こす事ができなかった。
35 それから、テアンクムが密かに自分の宿営に帰ると、見よ、兵は眠っていた。そこで彼は兵を起こして、自分が行ってきた事を全て告げた。
36 また彼は、レーマン人が目を覚まして攻め寄せて来るのではないかと案じ、軍隊に準備をして待ち受けさせた。
37 このようにして、ニーファイの民の裁き司の統治第二十五年が終わり、またアマリキヤの生涯も終わるのである。
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