77年9月22日、福島県会津体育館でのメインイベントは北米タッグ選手権試合の前哨戦。
ブラックジャック・マリガンに代わって挑戦権を得たスタン・ハンセンがザ・ハングマンと組んで坂口、ストロング小林組とノンタイトルで対戦。
1-1から両者リングアウトの引き分けとなっています。セミファイナルでは猪木が初来日のロディ・パイパーとシングルで対戦し卍固めでギブアップ勝ち。
前年76年3月、モハメド・アリ戦の調印式をニューヨークで終えた猪木はロサンゼルスに直行しましたが、そこでパイパーは猪木に挑戦を迫っていました。
アリ戦のことで頭が一杯で当時ロサンゼルスで活躍する若手の一人に過ぎなかったパイパーが猪木の眼中に入る訳もなく、その時は鼻も引っ掛けなかった感じで終わりましたが猪木はその時にパイパーの才能を見抜き、「あいつは今に化けるぞ」と関係者に語っていたそうです。
猪木の先見の明は的中し、パイパーは80年代にWWFと契約してからはその才能を開花させ、「パイパーズ・ピット」という番組のパーソナリティーをやる傍ら、88年にはアクション映画「ゼイリブ」にも主演、一流選手の仲間入りをしました。
猪木は倍賞美津子夫人と一緒にモハメド・アリとベロニカ・ポーシェ嬢の結婚式に出席の為に9月28日、市原市臨海体育館からシリーズを欠場しました。
怪我や異種格闘技戦に向けての特訓ではなくアリの結婚式にわざわざシリーズを休んで行かなくてもいいだろう、祝電とお祝い(お金)だけで済ませられなかったのか?という不満の声がこの時は上がりました。
が、アリ戦でのファイトマネーのダンピング交渉とか、この時期、アリと再戦しようと目論んでいたこともあり、ここは出席しておいた方が得策と判断したのでしょう。
9月29日、大阪府立体育会館大会は猪木欠場で行われています。
メインは坂口、S小林組vsハンセン、ハングマン組の北米タッグ選手権試合。
1本目はハングマンが14分25秒にS小林を体固め。2本目は奮起したS小林が3分53秒に逆エビ固めでハングマンをギブアップさせました。
S小林はハングマンがギブアップしてもなかなか両腕を離さずグイグイと絞め上げました。
これでハングマンは腰を痛めてしまい、3本目は22秒、ハングマンの試合放棄となり、坂口、S小林組が2-1で王座初防衛に成功しています。
先のアジア・チャンピオン・シリーズでは猪木がザ・モンスターマン戦を控えていた為シリーズの主役を坂口、S小林に任せていた部分もあり、いつもはやられっ放しのタイガー・ジェット・シンに日頃の鬱憤をぶつけるような大暴れを見せ、福岡ではシンからバックドロップでフォールを奪う等好調ぶりを見せていたS小林もこのシリーズはまた元通りになっていました。
しかし、猪木欠場で気合いが入ったか、ハングマンを戦闘不能にしての北米タッグ王座防衛を果たし、責任を全うしました。
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