NHK-Eテレの番組「100分de名著」の特別編『100分de手塚治虫』が、昨2016年11/12に放送された。
毎年、正月にこの特別編は放送されている(2015年『100分de日本人論』,2016年『100分de平和論』)が、今回1/3に放送されたのは、再放送である。
本当は正月に放送するものとして検討されたのだろうが、2016年は手塚治虫の漫画家デビュー70年の記念年(*)に当る為、前倒しで実施したのではなかろうか。
(*)デビュー作は『マアチャンの日記帳』(1946)。
この番組で名著として扱われるのは、漫画では手塚が初めてである。
手塚治虫(1928-89)は、60年の生涯で、700作品以上、原稿で15万枚を描いたと言われている。
その量と質の両面で、日本の漫画史の最高峰である事に異論のある人はいないだろう。
そういう意味で、この番組に漫画家として最初の登場となったのは、当然である。
今回の論者は以下の4名。それぞれがテーマとして掲げた事、そして、名著として挙げた作品を併記する。
ブルボンヌ(女装パフォーマー,エッセイスト)
・LGBT〜性の揺らぎを描く。
・『リボンの騎士』(1953〜),『MW』(1976)
園子温(映画監督)
・線の魅力
・『鉄腕アトム』(1952-68)
斉藤環(精神科医)
・群像劇〜他声的な長編物語
・『奇子(あやこ)』(1972)
釈徹宗(僧侶,宗教学者)
・漫画と宗教性
・『火の鳥』(全12編/1954-88)
MC；伊集院光,磯野佑子
彼等の議論は大変に幅と深さのあるもので、それを要約する事は、巨人手塚治虫論を書き上げるようなものであるから、今回は、斉藤環のコーナーについてのみ簡略にレポートするに留める。
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文学的な意味で、長編漫画を描けた人は、殆ど手塚しかいない、と言っていい。
ただ長い漫画は多々ある。一話完結の形の繰り返し等、結果的に長丁場になってしまったものと、手塚のそれは違う。
「文学的な意味で」と付けたのは、起承転結という大きな構造が存在して、それを貫き通す明確なテーマがあるという事を指している。そうした構造性とテーマ性が備わっている長編漫画は、案外ない。
手塚の長編の特徴はポリフォニー(多声性)である。
それはドストエフスキーに存在して、トルストイにはないもの。
トルストイにもたくさんの登場人物が現れるが、皆、作家の独り言を振り分けているだけだ。
ドストエフスキーの小説では、それぞれ個性を持った人々が、いろいろな角度からしゃべりだす。(ミハイル･バフチン1895-1975/『ドストエフスキーの詩学』)
ポリフォニックな漫画作品を作れた漫画家として、ひょっとしたら最初で最後の存在かもしれない。
手塚は「モブ(群衆)シーン」が得意だ。一つの場面で一度に大勢の人々がしゃべっているシーンの事。
彼等にはそれぞれの人生があり、それぞれの生活と背景があり、対立し合う事も勝手にしゃべっている。
それら濁った響きの中から、物語が紡ぎ出されていくのが手塚の長編漫画である。
『奇子(あやこ)』(1972)
終戦直後、青森県の旧家の没落の話。
戦地から次男が復員してくると、自分がいない間に妹ができていた。名を奇子という。
探ると、それはどうやら父が長男の嫁と関係を持ってできた不義の子らしい。
次男はそれを軽蔑するが、自分はGHQのスパイで、左翼活動家謀殺に関与している。
ある晩、シャツに着いた血を洗っているところを、近所の知恵足らずの女と奇子に見られてしまう。
バラされるのを避ける為次男は、女を池に落として殺す。奇子はそれも見ていた。
奇子は次男を怖れ、家の中に逃げ隠れる。
奇子の存在を邪魔だと感じていたのは、長男も同じである。
長男は、奇子を土蔵に閉じ籠め、世間に対しては死んだ事にする。
奇子は闇の世界で成長していく。
美しい女となった奇子により、様々な人達の運命が暗転しだす。
猟奇的でどろどろした人間関係が、リアリティをもって描かれる。
打算や欲望を皆が持っている。
そうしたものが絡み合い、織りなす重層的な物語展開。
手塚は、例えば「ドラえもん」のようなキャラを作るのは苦手な漫画家だった。
「ドラえもん」はどういう文脈の中に持っていっても、どんな時代のどんな世界でも「ドラえもん」である。
手塚の長編の主人公は、ストーリーと一体化しているので、他の物語に移植できない。ストーリーの中だけで呼吸し、ストーリーと伴に成長する。
群像劇では、そうしたストーリーの中で葛藤する人物達が多数登場する。彼等のうちの1人が特別のヒーローになる事はない。
手塚はキャラに依存しないストーリーテラーだ。まずストーリーがあり、その中で人は喜び苦悩する。
日本の漫画の多くは、キャラが先に存在し、彼等がヒーローとなって、作家の都合に従って物語を作りだす。
手塚の発言、
・・・僕は戦争の空襲という凄まじい体験をして、1つの大都市がみるみる灰になっていく瞬間を目撃した。
大規模な破壊等が運命的な働きをする視点を持つ事となった。これは僕の弱点でもある。
キャラの面白さで見せる物語より、物語そのものの(運命的な)面白さが優先してしまう。
謂わばストーリーそのものが主役であって、『あしたのジョー』みたいにキャラの物語を描こうとすると、僕の漫画はダメなんだ。・・・
強烈な体験は表現できないという人と、その体験をこそ表現しようとする人がいる。精神医学では後者を「自己治療法」とも呼ぶ。
戦後の飢餓体験。手塚の場合、それは食糧不足よりも娯楽の枯渇が大きかった。
フィクションがない時代、物語に対する飢えである。
敗戦により解放され、手塚は、紙とペンさえあればいくらでも描けると思った。その通り、とめどなく物語が溢れ出てきた。
戦争体験の影、それは俯瞰的な視点、つまり人は運命には抗えないという諦観でもある。
日本の最初期の漫画に悲劇を持込んだのは、手塚だ。
園子温、
「運命」は、手塚の主要なキーワード。
漫画の1ページ目から決まっている運命の悲しさ。
ブルボンヌ、
サブキャラクター迄、どんどん死んでいく。
ある意味冷酷でもある。
釈徹宗、
生命とはそういうもの、という見方がある。
虫等の小生物を考えて見るといい、彼等はすぐに死んでいく。
それが生命の事実である。
そこにリアリティを感ずる。
斉藤環に戻って、
生命思想が手塚には幼い時からずっとあった。
彼の漫画はヒューマニズムというより、生命賛歌という性格が強い。
ある具体的な1個人の、でなく、人類自体の生命の循環思想だ。
それを維持していく為には、人は死ななければならない。
新しい生命に場所を与えねばならない。
そういう連続性の方に、手塚の生命思想は寄っていただろう。
園子温、
『アポロの歌』(1970)の冒頭では、何億という数の人格化した精子が1つの卵子目指して競い走る。そして、1人の精子だけが卵子に到達し、他は全部が全部死んでしまう。
ディレクター 羽根井信英
2016年/日本
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手許にある手塚作品をチェックしてみた。
今回の『100分de手塚治虫』に登場する作品だけ抜き出すと、
『MW』全3巻 1978年小学館発行
『奇子』全2巻 1985年大都社発行
『火の鳥』9巻 月刊「マンガ少年」別冊発行
同2巻 1986-87年角川書店発行
『リボンの騎士』と『鉄腕アトム』は持っていない。
勿論、番組で登場しなかった手塚作品もたくさん持っているが、今回は省略する。
またいつか話す機会もあるだろう。
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