●2015年03月31日(火) 未明
▼「キツネくん。
3月も終わり、新年度だねぇ・・。
ホームページも月替わりだけど、また
よろしく頼むね・・・」
「ナラトさん。
そんなこともあって、長々と続いている『話』、
きょうこそ、本当に終わりにしたいのですが・・・」
「ああ、ボクも、そう願いたいよ・・・」
▼「では、さっそくですが、ナラトさんが「ホームページの開設」にあたって掲げた
『あったことは、なくなりはしない』とゆう命題を、吟味したいのです・・・」
「ああ、どんどん、やってくれ給え」
「ナラトさん。
歴史的事実であっても、人々の『記憶』や『記録』、その他『遺跡』みたいなものも
完全に失われた時、『あったことも、なくなる』か、あるいは、何が『あった』とゆうこと
自体が問われなくなったとき、そもそも、はじめから『なかった』ことになる・・・、
ちゅうことです。
しかし、『思考』は、言葉や事実から生まれた『記憶』をもとにして、『仮定』や『類推』を
可能にします・・・」
「キツネくん。
どんどん抽象的になってきて、キミが言う事の、真のネライがよくわからない・・。
キミは、土屋先生を『冗長』だと批評したけど、なんか、『話』がよく見えないのだ
けれど・・・」
▼「すみません。
オレが言いたいのは、ナラトさんが死んだら、ナラトさんが生きていたことも、
いま、ゆうたような『歴史的事実』と同じように、消えていく、ちゅうことです。
そして、もともと、どんな、目に見えるものも、目に見えないものも、
あの『方丈記』の冒頭のように、
ゆく河の流れは絶えずして、
しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、
かつ消えかつ結びて、
久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人と栖(すみか)と、
又かくのごとし。
ちゅうことで、『万物は流転する』ちゅうことなんです・・・」
▼「おいおい、キツネくん。
こんどは、急転直下、そんな『無常観』みたいなものを、持ち出してきて、
やっぱり、ちょっと、キミ、どうかしているんじゃないか・・・」
「ナラトさん。
そんなことはありません。
オレは、なにも、『無常観』にひたっているわけでもなく、『虚無的』に
なっているわけでもありません。
かえって、逆に、清々し思いなんです・・・」
「なんだか、キミの言っていることが、よく、わからないのだけど・・・」
▼「ナラトさん。 『かげろう』を知っていますか・・?
『かげろう』は、『春』の季語でもあります」
「もちろん、ゆらゆら、ゆらめく、『陽炎』と書く、『かげろう』のほうだろう・・」
「そうです。『蜉蝣』と書く、虫のほうではありません。
古語で、「かげ」とは、「光」や「姿・形」のことで、そこから、「おもかげ」という
言葉や、「影を慕いて」ちゅう流行歌も生まれるわけですが、「影のようにつきまとう
もの」や、「薄ぼんやりと見えるもの」も、みな、「かげ」、ちゅうことです。
そして、「かげ」は、「かけろふ」とゆう動詞になって、「光がほのめく、ちらちらする」と
ゆう意味になります。
これが、名詞に転用されると、「かげろふ」、「かぎろひ」、「かげろう」と、なるわけです。
いまでは、「かげろう」は、「陽炎」と書きますが、むかしは、「炎」を「かけろう」と読ませた
ようです・・・。
そんな、ゆらゆらした、炎のようなものから、「はかなさ」の譬えとなり、朝に成虫となり、
夕べには死ぬという「蜉蝣」も、指すようになった、ちゅうことらしいです・・」
▼「キツネくん。
いよいよ、本論から離れてしまった感じがするのだけれど・・・」
「ええ、そうなんです。 それは、わかっているのです。
オレが言いたいのは、まえに出て来た、消えた『火』や『ハト』や『子ども』に
『かげろう』は、つながるのです。
御釈迦さんは、人間を見て、「人間は、めらめらと燃えている」と言ったそうです。
それは『欲望』をさして、そう言われたのですが、そのよような、メラメラ燃えるものを
消すこと、つまり、『涅槃(ねはん)』とは、そのような、心の静まりのことらしいのですが、
よく考えると、メラメラと燃える『炎』とゆうのは、はかない『現象』でもあります・・」
「ナラトさん。
オレ、ときどき、キツネになったり、人間になったりしますが、キツネであっても
人間であっても、『生きている』ちゅうのが、この『炎』のような『現象』のような
気がするのです。
そして、その『炎』が燃え尽きて、消えてしまったように見えても、それは
『現象』が消えただけで、何もなくなったものはないような気もするのです・・」
▼「うーむ。
キツネくんの言いたかったことは、そういうことだったのか・・。
『人間かげろう説』、たしかに、『生きている』ということは、生命現象だから
それが形を伴った『現象』と、言えなくもないと思うけど・・・」
「いいぇ、ナラトさん。
それが正しいか、どうかの問題ではないのです。
そう考えると、オレは、安心する、ちゅうことです・・。
『魂の不滅』とか、『永遠』とかを考えると、安心する人もいます。
ナラトさんは、鶴見俊輔さんの『本』を若いころ、よく読んだそうですが、
年取ったとき、鶴見俊輔さんは『仏教』にもふれていますが、『永遠』の
感覚についても語っています。
えーっと、どこかに、『YouTube』でアップされていたと思います。
それを、探して、ここに貼りつけて、『話』はおしまいにします」
▼「キツネくん。
講義、どうも、あありがとう・・。
よく、わからないところもあったけど、ボクも、『残された時間』のこと
考えてみるよ・・」
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