●2014年05月16日(金) 未明
▼風呂からあがり、今この「日記」を書いている。
中一日あいてしまったが、「日記」をつけることもなく
私は深く沈潜していた。
ある人は、それを涅槃ともいう。
▼カフカは1911年2月19日の日記にこう書いています。
「最も幸福にして又最も不幸なぼくが、今、夜中の二時に寝に就く時の霊感の
特色は・・・・或る一つの仕事だけを目指すものでなく、何でもできるという
性質のものだ。
ぼくが盲滅法に、たとえば≪彼は窓から眺めていた≫という文章を書きつけると、
もうその文章は完璧である」
このカフカの"実存"を、わたしは今"涅槃"という言葉でいいたい衝動にかられます。
それは一つには、カフカの次のような言葉に触発されるからです。
「君が家を出る必要はない。机に向かって、聞くのだ。聞いてもいけない。
ただ待っているのだ。待ってもいけない。ひとりっきりで、じっとしているのだ。
世界は仮面をぬぐことを申し出るだろう。ほかにどうしようもないのだ。
世界は歓喜に酔いしれて、君の前で身悶えするだろう」。
▼あるいは死の三年前の「日記」では、人生の光明というのは、それを正しい言葉で
呼びさえすれば現れる、とも言っています。
ここに、わたしたちは、人間の自力の解体をいい、ただ南無阿弥陀仏の六字の
名号をとなえよと教えた親鸞や法然の思想をみることが可能です。
さらに道元が、意識のはからいをすて、悟りを求める意志もすて、ただひたすらに
坐禅せよという場合の解脱の方法と似たものをみることもできます。
▼以上は、野呂重雄「カフカと涅槃」(野呂重雄『混沌の中から未来を』一ツ橋書房、1972年)
からの引用である。
▼カフカは、自分の内面なるもの、心という厄介なものを捨て去り、地上的なものから
飛び出し、外から人間を見つめる。それは、火星人が人間を見る視点に似ている。
人間の身振りや、仕草や、動きを、外から眺める。「言葉」という媒介を持たない
火星人にとって、人間を理解する方法は他にない。
人間の内面とか、その深さとか、そういったものは火星人には分からない。
わかるのは、見えている人間の身振り、仕草、動き、それがすべてである。
カフカは、人間の内面や心というものが如何にあてにならないものであるかを悟ったとき、
火星人が人間を見るような視点を獲得した。
人間は、身振りや仕草や動きがすべてであり、それ以上でもそれ以下でもない
と悟る。
▼カフカは、悟ることで、奇妙な人間になってしまった。
だが、彼は、この地上的なものから世界の外に飛び出したとき、予期せぬ「自由」と
「内面」が開ける。
それは、個人が何かを所有することではなく、そのことから解放されて、ただ自分は
存在しているのだ、という事実を発見したことだ。
そのときに訪れる「自由」という実存である。
彼は目の前にある一本のペンを見る。ペンはペンであり、心を無にしたとき
目の前に広がる世界は、新しい世界となって現前し、新たな精神が復活する。
事実には、それ自体に意味もなく目的もない。
だだ、「見る」ということを通して訪れた、実存の自由の豊かさ、それをカフカは
1911年2月19日の「日記」に書いた。
▼私は、良寛と貞心尼を思い出していた。
とびはとび 雀は雀 鷺は鷺
烏は烏 なにかあやしき
裏を見せ 表を見せて 散る紅葉
▼きのう「桃山晴衣」の世界に沈潜し、いま「RON CARTER」に沈潜している。
夜更けて風呂に入り、私はいい気分である。
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