●2013年01月13日 (日) 曇り
▼「どう?」と妻が聞く。
聞くので、うむーっ・・
と、ちょっとだけ頭をめぐらし
即座に、思いついたことをいう。
「雪合戦のちびっ子おばちゃんてとこかな?」
私が休みで、妻が出勤日の
いつもの、玄関口での会話である。
▼どこかここか、毎日の服装に変化をつけて
妻は出勤するのであるが、
たとえ「衣装持ち」と雖も、身に纏う着るものすべてが
そうそう変る訳もなく、また季節による制約があり、
夏には夏の服装が、冬には冬の装いがある。
だから、上着や外装や、あるいは首や手や頭に着装する
装飾の類など、その組み合わせ、言うところの「コーディネイト」で
勝負することとなる。
▼「どう? 変じゃない?」
と、出掛けに妻が聞くようになったのは、
いつ頃だったかはっきりしないが、
城崎に一泊旅行したことがあり、そのとき
妻は、地場産業の袋物などを扱う土産物屋で、帽子を買った。
気にいった物が何品かあり、ハンチングのようなのや
ベレーのようなの、鍔広のもの、など
いくつかあって、搾り切れずに、二つ買って、
散歩の帰り道に、妻は、
「ちょっと待って!」と
さっきの土産屋で、選から落としたもう一品も
買った。
▼城崎から帰り、次の私の休みの日、
妻は、どっちの帽子にするか、いったんは自分でこれがいいと
決めた方をかぶってみて、ついでに、私の意見も求めた。
「そうぉ? やっぱり、こっちがいい? う〜ぅん、こっちね。
あたしも、はじめ縞があるから、こっちが合うと思ったんダ。
じゃぁ、きょうはこっちね!」
まぁ、そんな会話が始まった。
たぶん、その頃からだと思う。出掛けに
「どう、ヘン?」と妻が聞くようになったのは。
、
▼つい先日、私は正岡子規のことで、「本」を読んでいた。
子規は「子規」以外、いろんな俳号をもっている。
そのひとつに、「獺祭書屋主人(だっさいしょおくしゅじん)」というのが
ある。
「獺」とは「カワウソ」のことである。
カワウソは捕らえた魚を並べてから食べる習性があり、
かつて中国では、その様子は、まるで人が祭祀を行って、
天に供物を捧げる時のようであると信じられ、これを
「獺祭魚」と言った。
後世の唐代の大詩人である李商隠は、尊敬する詩人の作品を短冊に書き、
左右に並べ散らしながら詩想に耽った。
その短冊の並ぶ様を、故事になぞらえ、自らを「獺祭魚庵」と號した。
ここから「獺祭魚」には「書物の散らかる様」という意味が転じ、
子規は、俳号に「獺祭書屋主人」を用いたという。
▼それで、そのとき、
妻は、モスグリーンに褐色がかかった皮のコートを着ていたので
咄嗟に、「カワウソおばさん!」と言った。
「何よ、それ!」
「川から上がってきて、毛が濡れているカワウソみたいだ」
私は、「よう似合っている!」と、
褒め言葉も付け加えたが、妻はプンプンして
出ていった。
▼きょうは、「ええやんか、かっこいいわ。まるで、
雪合戦のちびっ子おばちゃんみたいや!」と褒めた。
ちょっとスポーティーで、いまから子供が雪合戦に
出向くように見えた。
妻もまんざらではなさそうで、にっと笑った。
そして、「ちびっ子って言うな!、おばちゃんって言うな!」
と言って、機嫌よく出ていった。
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