●2012年12月03日(月) 晴れ
▼「おやっ?」と気づいたのは、先週の火曜日だった。
朝の電車がいつもより空いているのだ。
出入り口のドアのあたりには、6,7人立っているだけで、
「混雑」という混み具合ではない。
「いま時分の頃だったのかなー?」と思い返してみる・・。
外部講師の授業に休講が出始め、それにあわせて
学生たちが冬のバイトに出かけるのは・・。
▼夏休みや冬休みの休暇に入るちょっと前から、学生たちは
1ヶ月くらいの「短期雇用」のバイト口を探して、生活費やクラブ活動の
費用にあてていた。
仲間のうち、体力に自信のある者は、冷蔵倉庫の荷役作業など割りのいい
仕事先を確保して、早々に出かけて行った。
私は、昼間に授業にも出られる「夜間作業」の仕事を選んで、バイトをした。
▼阪神住吉駅を南側に出て御影の方へ少し西にもどり、そこから南に
まっすぐ歩いていくと、白鶴や剣菱などの酒蔵があり、国道43号線を横切ると
浜を埋め立てできた第二工区に出る。
真っ暗な運河に架かった橋を渡ったすぐ左に、工場があった。
そこで夜7時から朝7時まで、夜通し「リプトン」のティーバッグの
袋詰め作業をした。
▼デュッセルドルフで製造されたというマシーンは、紅茶の茶葉を自動で漉紙に詰め、
それを黄色と赤の「リプトン紅茶」の外装で包み込んで、1秒間に1個くらいの早さで、
横幅10センチほど、長さ約1メートルの、機械から嘴のように突き出たベルト
コンベアーに吐き出していた。
コンベアーは、私の腹の上あたりの高さの位置にあり、腰高の椅子に座って、
流れてくるインスタント紅茶を5個つかんでは、ポリエチレンの小袋に詰める作業
だった。
▼熟練者は、左手で流れてくる紅茶5個をすくい取ってその角をそろえ、
右手では、ポリ袋をつまみ、指をわずかにひねって袋に隙間を作り、
そのポリ袋の隙間に紅茶の角をあてがい、押し込みつつ、右の親指と
人差し指の腹をつかってぎゅっと押さえると、5個の紅茶はスポッと
ポリ袋の奥まで入り、いとも簡単な作業のようにこなしている。
5個入りの紅茶はそのあと、袋をヒートシールし、シールした袋を何個か
化粧箱に詰め合わせて、クリスマス・正月用の特売商品として売り出していた。
▼コンベアーの先端と作業位置の下には、ここの会社が扱っている「コーヒー豆」の
大きな空の木樽が置いてあり、ティーバッグを掴み損ねたらその木樽に落ちるように
してあった。
私はティーバッグをボロボロとこぼし、コンベアーの速度にも追いつけず、5個の
袋詰めが出来上がるより、樽に溜まる紅茶の方が多かった。
コンベアーの端からは取り残しの紅茶の袋が、また手元からは落ちた袋が
置かれた樽をすぐに満杯にした。
満杯になると、あわてて別の空き樽を持ってきて受けるのだが、その間にも
紅茶の袋はコンベアーから床に流れ落ちた。
▼5個掴むのは、数えるではない。手の感覚とリズムである。
そのうちに慣れてくると、左手はかってに5個つかんでいる。ドミノ倒しのように
折り重なって流れてくる紙袋の紅茶を、先頭の袋を起こすように掬いとり
見ると、5個つかんでいた。
ポリ袋に押し込むのも、要領が必要だった。
まず、口が開かない。ちょっとひねりを入れるコツがわからない。
また、5個の紅茶の角を上手に揃え、それをわずかに開いたポリ袋の
口にあてがい一気に押し込むツボがつかめない。
しかし、これも慣れである。ついには習得する。
目をつぶっていても、掴み取るときは「シュッ」、ぎゅっと指で袋に押し込むときは
「パッ」と、その「シュッ・パー、シュッ、パー」のリズムで
5個の紅茶が、左手から右手のポリ袋に収まっているようになる。
▼ただ、これだけの作業を1時間の休憩をはさんで、夜通しやった。
学生のほかでは、八百屋のオヤジさんや他の仕事をもっている人が何人か、
本業を終えてから、働きにきていた。
休憩には、「インスタント・ラーメン」が1個支給された。
これも取扱商品であったから、銘柄は色とりどりあった。
このとき私は、はじめて熱湯で湯通ししてソースをふりかける「焼きそば」を
食べた。
▼単純作業も極まれり、という作業だった。
デュッセルドルフの機械の一部品となって、わたしは腕と手を動かした。
私には意思はないかのようになった。
ときたま、映画館のフィルム交換のように、丸い巨大な濾紙や外装のロール紙を
最後まで使い終わった時と、紅茶の茶葉が残り少なくなった時に、マシーンは
一時とまった。
外袋の「リプトン」と印刷のあるロール紙は、「エンベロプ」と英語で呼んでいた。
これを担いで来る作業と、中二階になった部屋から機械の上部に開いたホッパーに
茶葉を補給する作業が、唯一「袋詰め作業」以外の仕事だった。
▼何時間もの連続・単純作業で、頭はもう何も考えなかった。
手も腕も、もう自分のものでなかった。
自動マシーンになっていて、眠気でうとうとしても、
腕と手だけは確実に動き、袋詰めをしていた。
そんな工場で、マシーン音と作業音だけの単調さをすこしでも和らげるため
ラジオの深夜放送が流されていた。
ラジオからは、そのころ毎日にように奇妙な音楽が流れた。
「オラは死んじまっただー、オラは死んじまっただー。
天国よいとこ、一度はおいで、酒はうまいし、ネエちゃんは綺麗だ・・」
いままで聞いたこともない歌だった。それはテープを早回しした声で歌っていた。
そして、朝5時ごろになり、外はもう暫くしないと夜明けにならないころ、
「さあ、みなさん。ルーテル・アワーの時間です」とラジオから、牧師の説教が
流れた。
何回も何回も、その歌と説教を繰り返し聞かされていると、
空っぽになった頭は、もう、神を信じてもいいような感じになった。
そして歌は、「おらは信じまっただー、おらは信じまっただー」のようにも
聞こえた。
▼流れてくる深夜放送を聞きながら、腕と手は勝手に動き、
私は、頼むから早く朝日が昇ってくれ、と祈るような気持だった。
いま時分になると、私はときどき、そのころの気持が甦ってきて、
あの「空っぽになった頭」のことを思い出す。
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