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2012年03月20日13:16

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■ろくだせの坂

●3月20日(火)  晴れ

 ▼私が生まれた母の実家のすぐ前に、「マイケ」という池がある。
  「前池」が詰まって、「マイケ」になったのだろうと思う。

  マイケから、まっすぐ山に向かうと「馬の背」がある。
  山の稜線が馬の背中に似ているところから、そう呼ばれている。
  いま私が住んでいる須磨の横尾山にも「馬の背」があり、
  子供にも理解できる。

  マイケから右に行くと、小学校へ通う道になるのだが、
  道は急な下り坂となり、下り終わると、こんどは急勾配の
  上り坂になる。

  それが「ろくだせの坂」であるが、母の実家から小学校に通っていた私は、
  それを「駱駝背の坂」かと思っていた。

 ▼詳細な地図を見ても、「マイケ」や「馬の背」や「ろくだせ坂」の表記は
  ない。昔から、村の人がそう云い慣わしてきた土地の名前だ。

  雨が降ると、ろくだせの坂は「じゅるく」なる。「ぬかるむ」ことを
  そう言った。
  当時はまだ馬車があり、出荷するタマネギ箱や瓦を運んでいた。
  ろくだせの坂では、晴れの日でも馬は登りで難渋し、びっしり汗をかいたが、
  雨の日は、口から泡を吹き立ち往生することもあった。

  粘土質の道は雨ですべりやく、よくここで転んで、泥をべったりズボンにくっつけ、
  そのまま登校した。

 ▼春、四月。
  この道を、ろくだせの坂を下り、ろくだせの坂を上り、
  村のダンジリが、春日神社まで練っていく。
  
  淡路の赤い布団ダンジリは、坂道の山桜に映えて
  美しかった。
  下り坂では、ダンジリは台車の丸太棒のブレーキで制御し、
  上り坂では、子供たちも綱を一生懸命ひっぱり、そうやって
  ようやくダンジリは、村からお宮に向かった。

  村人の息が合わなければ、ダンジリは
  ろくだせの坂で止まったままとなる。

  ろくだせの坂は、村から出る関門のようでもあった。

 ▼村のダンジリは、いま担ぎ手がいない。
  ダンジリ小屋は、もう何年も開けられたことがない。

  ろくだせの坂は舗装され、幼い頃のじゅるい坂道になることはない。
  四月になるとダンジリと、ろくだせの坂を思い出す。


  ●淡路市伊弉諾神宮蒲団檀尻
   


  ●南あわじ市阿万亀岡八幡神社春祭り 道中
   


   
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