●3月20日(火) 晴れ
▼私が生まれた母の実家のすぐ前に、「マイケ」という池がある。
「前池」が詰まって、「マイケ」になったのだろうと思う。
マイケから、まっすぐ山に向かうと「馬の背」がある。
山の稜線が馬の背中に似ているところから、そう呼ばれている。
いま私が住んでいる須磨の横尾山にも「馬の背」があり、
子供にも理解できる。
マイケから右に行くと、小学校へ通う道になるのだが、
道は急な下り坂となり、下り終わると、こんどは急勾配の
上り坂になる。
それが「ろくだせの坂」であるが、母の実家から小学校に通っていた私は、
それを「駱駝背の坂」かと思っていた。
▼詳細な地図を見ても、「マイケ」や「馬の背」や「ろくだせ坂」の表記は
ない。昔から、村の人がそう云い慣わしてきた土地の名前だ。
雨が降ると、ろくだせの坂は「じゅるく」なる。「ぬかるむ」ことを
そう言った。
当時はまだ馬車があり、出荷するタマネギ箱や瓦を運んでいた。
ろくだせの坂では、晴れの日でも馬は登りで難渋し、びっしり汗をかいたが、
雨の日は、口から泡を吹き立ち往生することもあった。
粘土質の道は雨ですべりやく、よくここで転んで、泥をべったりズボンにくっつけ、
そのまま登校した。
▼春、四月。
この道を、ろくだせの坂を下り、ろくだせの坂を上り、
村のダンジリが、春日神社まで練っていく。
淡路の赤い布団ダンジリは、坂道の山桜に映えて
美しかった。
下り坂では、ダンジリは台車の丸太棒のブレーキで制御し、
上り坂では、子供たちも綱を一生懸命ひっぱり、そうやって
ようやくダンジリは、村からお宮に向かった。
村人の息が合わなければ、ダンジリは
ろくだせの坂で止まったままとなる。
ろくだせの坂は、村から出る関門のようでもあった。
▼村のダンジリは、いま担ぎ手がいない。
ダンジリ小屋は、もう何年も開けられたことがない。
ろくだせの坂は舗装され、幼い頃のじゅるい坂道になることはない。
四月になるとダンジリと、ろくだせの坂を思い出す。
●淡路市伊弉諾神宮蒲団檀尻
●南あわじ市阿万亀岡八幡神社春祭り 道中
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