●9月5日(月) 曇り
▼きのうは日曜日で、妻はゆっくり目の出勤だった。
12時近く、妻と一緒に下まで降りた。
タバコを買うためである。
雨はまだ降っていた。
霧雨のような細かな雨だった。
椿谷公園の横を通ると、雨の中、ツクツクボウシが
鳴いていた。
▼駅前のタバコ屋は、ここに引っ越してきたとき
タバコ屋というより、コメ屋がメインの店だった。
店では、コメのほか、酒とタバコを売っていた。
ときどき店で、そこの息子がコメの配達を手伝っているのを
見かけた。
コメの消費量が減って行ったためか、それとも
同じ商業施設に入店している生協の店に押されてか、
いつのまにか、コメは扱わなくなった。
▼そして、これも気づかぬうちに
いつの間にか、店頭に主人夫婦の姿がなくなり、
息子が一人つくねんと、レジのそばで腰かけているのを
見かけるようになった。
息子は、手伝いをしているとき、不承不承やっている風だったが、
座っている彼は、前よりも一段と不機嫌そうな感じだった。
上から下りていくと、その店は、生協の店や駅のキオスクよりも
手前にあるので、面倒なときは、たまに、その店で酒やタバコを
買った。
しかし、レジでおカネを払っても、たった一度も
この息子に「ありがとございます」と、礼の言葉を言われたことがない。
▼あるとき店に行くと、息子の替わりに、三十半ばで愛想のいい女性が
レジに立っていた。
妹さんだろうかと思っていたが、それからしばらくして、
息子とその女性とが一緒に店にいるときに出くわした。
息子は相変わらず、むっとして口もきかず商品の出し入れをしており、
彼女の方がにこやかに客との対応をしていた。
二人の関係をそれとなく見ていたが、パート店員でも、妹でもなく、
彼女は息子の嫁さんであるようだった。
▼嫁さんが一人、店先に立つこともあれば、
息子が店番をしていることもある。
店舗だけの店で、住まいは別のところにあるようなので、
いままで一人の時は、昼の食事やトイレはどうしていたのだろう、
なんて、そのとき改めて思ったりした。
嫁さんを見かけるようになってから、少しは笑うように
なったかと、私はときどき息子の顔を見に店に寄ったが、
ちっとも変化がなかった。
▼今年3月、震災があってタバコが品切れになった。
国産のものがなくなり、「マルポーロ」や「ラッキーストライク」などを
吸った。
そのうち国産品も少しずつ出てくるようになったが、
私が吸う「ハイライト」は品薄で、もし学生時代に吸っていた「わかば」があれば、
それを買うことにしていた。
▼いまごろ「わかば」を取り扱う店はもともと少ないのだが、この店はどうしてか、
「わかば」を品ぞろえしており、震災の時でも、「お一人様2箱まで」の制限なしに
1カートンでも売ってくれた。
それで度々、店に立ち寄るようになり、
私が「ハイライト」や「わかば」の在庫を確かめ、品切れだと、
息子はニャッと笑って、「ありません」と答えるようになった。
▼きのうも雨だったので、手短に済まそうと、
この店に寄った。
いたのは息子の方だった。
相変わらず「いらっしゃいませ」とも言わない。
「わかば、1カートン」と注文すると、棚から引きだし
黙ってポリ袋に入れ、私によこした。
レジに立って「2500円です」と言うので、私は五千円札を出した。
釣銭を渡すとき、私と目があった。すると、一瞬、彼は口ごもったようだった。
「・・・・」
しかし、結局、彼は何も言わなかった。
▼きょう、ツクツクボウシは朝から鳴いていた。
もうこれが最後だなぁ、と思った。
夕方、仕事からの帰り、きのうの事を思い出した。
タバコ屋の前を通ったが、中は覗きこまなかった。
息子がレジのそばに座っているような気もした。
タバコ屋を通り過ぎ、幼稚園の横を通って
椿谷公園の脇の階段を上がって行った。
いつもと同じ時刻なのに、先週よりも
ずっと薄暗い感じがした。
どこかでツクツクボウシが鳴いていないかと、
私は耳を澄ましたが、どこにも鳴いている様子はなかった。
うすい雲の間に、半月の白い月が見えた。
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