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2009年11月30日19:49

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ドロタ・ケンジェルザヴスカ 映画『僕がいない場所』

ポーランドの女性監督、ドロタ・ケンジェルザヴスカ(1957〜)の作品、『僕がいない場所』をレンタルDVDで観る。

まず、これを女性が作ったという事に驚いた。
主人公クンデルは、日本で言えば中学に入る前位の年齢だと思うが、まだ大人にはなる前、男性になりかけの少年のセンシティヴィティを見事に捉えている。

彼は孤児院での生活に適応できず、脱走して母の許へ帰ろうとする。
母がいるなら孤児院にどうしているか、という事になるが、母親はある種の神経症と言っていいだろうか、生活破綻者で、常に男と酒に依存している。そんな母でも、子は愛されたいと思う。
しかし、母はクンデルとの生活を選ばず、少年は1人、川べりの廃船の中に雨風を避けるだけの仮屋を定める。

時代の説明はないが、社会主義から資本主義社会へ変わろうしていく中、今とそう遠くないだろう。
ポーランドの田舎、一部に成功家庭も見られるが、貧しい生活を送る者が多い。不良少年達は徒党を組み、帰ってきたクンデルを追い回す。
彼等の配下になる事で、孤独は避けられもするだろうし、それなりの生活手立ても得られるのだと思うが、クンデルは集団に馴染まず、金属ゴミ等を集めて小銭を得る。

クンデル役のピョトル・ヤギェルスキは街で見出された全く素人らしいが、小さな身体に時々大人びて、妙に枯れたシニカルな表情を見せる。そのくせ、幼児の頃の祖母との生活を想い起こさせるブリキの音の出るおもちゃを大事にしていたりもする。いかにもバランスの取れない、自分の心も持て余す少年期を、淡い光の中に投げ出す。
勿論監督ドロタと、夫であり撮影・編集のアーサー・ラインハルトの力も大きい事だろう。
それは、ポーランドの小村の自然描写にも向けられていて、時によって移ろう川面の光の様は、哀惜に満ちている。
しかし、映画の手法としては、全く説明を入れず、登場人物達の切れ々々のセリフと自然の音、そして音楽だけで構成して、旧社会への懐古趣味の甘さや都合の良さは全くない。

生活という次元の意味だけでなく、精神の問題として、子供が1人で生き続けていく事は如何とも困難だ。
廃船の窓から見える豪邸に住む年上の美しい少女への憧れ。妹は美しい姉に劣等感を抱き、親の愛を信じず、飲酒で紛らそうとする。この次女とクンデルの間にコミュニケーションとも言えぬコミュニケーションが次第に生まれるのは自然だ。ほんの少しばかりの希望の光が見える。
救いを求めるかのように、クンデルは母親にもう一度会いに行く、が、彼は完全に拒絶され、絶望する。
格差の大き過ぎる環境下で、幼いコミュニケーションも、簡単に断ち切られてしまう。

これは1クンデルの個別の物語ではない、病む社会で分断される人間の心の問題である。

現代の『 Jestem 』は、英語にすれば、” I am ”といったところか。
孤児院で教務官に繰り返し名を問われ、彼は応える、僕は僕だ。
何丁目の誰でも、不良仲間の誰それの友達でも、母の子でもない。誰からも切り離された、ただの僕である。


監督・脚本・編集 ドロタ・ケンジェルザヴスカ
製作・撮影・編集 アーサー・ラインハルト
音楽 マイケル・ナイマン
出演 ピョトル・ヤギェルスキ,アグニェシカ・ナゴジッカ,エディタ・ユゴフスカ,パヴェウ・ヴィルチャック
受賞 ベルリン国際映画祭キンダーフィルムフェスト特別賞,ギディニア全ポーランド国際映画祭最優秀撮影賞/最優秀音楽賞他多数
2005年ポーランド映画

ナイマンは『英国式庭園殺人事件』『ピアノ・レッスン』の音楽を担当した人。
クンデルのブリキのおもちゃの単純な音が拾われて、いつの間にか映画の音楽になる。素晴らしいモチーフ設計だ。
 
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