■寒い日に
●このあいだの水曜日あたりから
急に冷え込み、最高気温が10度を割る日も
ある。
私は木々の名前をよく知らないのであるが、
通りひとつ東の道には、シラカバと思われる街路樹が植えられていて、
大きな葉をいっぱい落とし、落ちたその枯葉は
歩道から交差点のあたりまで散っていて、
これも、木枯らしかと思われる風が吹いて、
カサカサ音をたて、渦巻いていた。
●交差点を渡ると、昼休みの喫茶店がある。
そこで、阿満利麿「人はなぜ宗教を必要とするか」を読んだ。
この人の「本」には、そこに引用されている「本」や著作の
紹介文に、いろいろ教えられる。
「日本人はなぜ無宗教なのか」の、田山花袋「重右衛門の最後」が
そうだった。
「本」に書いてある文章を孫引きで、日記に書き写そうかとも思ったが
それも、ためらわれるほど圧倒されたのだ。
●こんどの「人はなぜ宗教を必要とするか」にも、「丹羽文雄さんの悲しみ」という
一節があって、浄土真宗の末寺に生まれた丹羽さんが、なぜ実母をモデルとした
小説を書くのか、書いて何を発見したのか、について書いている。
丹羽さんの母親は、丹羽さんが四歳のとき、丹羽さんと九歳の姉とを残し
家出をしてしまう。
母は寺の娘で、母の母、つまり丹羽さんの祖母が亡くなってから
寺には継母がやってきた。母が十三歳のとき、二十二歳の丹羽さんの父が
養子で入寺した。
母がなぜ家出をしたのか。それは、父と、継母である義理の祖母に関係が生じて
しまったからである。
●母にとっては継母、丹羽さんにとっては義理の祖母というこの人は
三度目の結婚で寺にきたが、過去の結婚生活はいずれも彼女の過ちが
原因で破綻した。
父と義理の祖母との関係がすべてが露見してからは、祖母も寺から出されて
監禁同様の暮らしを強いられ、のちに病を得て寺に引き取られた。
義理の祖母は丹羽さんを可愛がったというが、病苦からすさまじいうめき声を発して、
受験勉強中の丹羽さんを苦しめた。
丹羽さんの父は、その後再婚するも、茶の湯の女弟子と関係するなど、
丹羽さんから見れば「愛欲地獄」というしかない状況が、寺の中でくりかえされた。
●一方、家出した母は、役者狂いに明け暮れ、妾生活をして過ごしていたが、
後年、丹羽さんは、年老いた母を千葉県の鴨川に家をつくって、ひきとった。
母は、七十歳になっていたにもかかわらず、隣に住む男にねらわれていると
いいふらすなど、愛欲の感覚は失われていなかった。
惚けはじめた母は、麦畑にあるカラスの死体でつくった案山子(かかし)に、
朝夕供物をもって参詣した。そして、案山子のまえで母の唱える念仏が風にのって
聞こえてくるのがやるせなかった、と丹羽さんは書いている。
●母は七十六歳で亡くなったが、丹羽さんはこれで母から解放されると思っていたところ、
ますます母を恨む気持ちが深くなり、心は重くなる一方だった。
また同時に、不思議なことに、この母をわが胸に抱きしめたいという思いもあった。
そんなとき、手にしたのが「歎異抄」であった。
・・・・
●田山花袋「重右衛門の最後」の話もすごかったが、
丹羽文雄「仏にひかれて わが心の形成史」のこの話もすごい。
「日本人はなぜ無宗教なのか」と「人はなぜ宗教を必要とするか」を読み終わった。
「蒲団」といっしょに収められた「重右衛門の最後」を、新潮文庫で
いま、読みはじめたところである。
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