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2006年02月09日13:54

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●寄り道ついで (43)/■ヤバイ人(4)

■くそまじめ

 ▼淡路−東京−淡路と、生まれてから小学三年生までに3回、引越しをし
  生活の場を変えた。
  小学四年生になるまで、この間、私は生来の性質に従って、よく遊んだ。

  勉強の思い出はほとんどない。


 
 ▼東京で、母が近所の「そろばん塾」へ一度、通わせたことがあった。

  寺子屋式の教室は、横に長い机に何人かが並んで座って、
  「ねがいましては〜、○円なり〜」と先生が読み上げるのを聞いて、
  黙々と、みなが一斉に、そろばんの珠をはじく。

  その圧迫されたような、競争を強いられているような、そんな空気がいやで、
  いやでたまらなかった。

  結局、一ヶ月ももたないで、私はケツを割ったと思う。



 ▼「競争」には弱い人間だった。

  意地張りで、強情で、負けず嫌いで、小さいころはよくケンカしたくせに、
  「競争」は嫌いで、競争には、はなから負けているところがあった。


 
 ▼そんな私が、小学校4年のときに、淡路から宮崎に転校して、
  「こみ」さんもいた「4年1組」の「日高正」先生のクラスに二学期から編入され、
  私は「考える少年」になった。


 ▼学校にあがる前の幼い頃の、自分の「こころ」を思い出させる記憶に刻まれた
  「とぎれとぎれのシーン」はあるが、自分に「こころ」があり、反省をし、「考える」という
  ことを始め、「考えている」自分を意識するということが始まったのは、この学級や
  小学校での生活、また学校がひけてからの友達との遊びからであった。

  また、父・母・妹との一家4人のくらしのなかで起きたできごと、それらのことによって、
  私は「考える」ようになった。


 ▼それは、私だけに起きる変化ではなく、人間の成長過程で起きる「自我の目覚め」で
  あり、「思春期」のとば口に差しかかっていたことを告げるものだった。


 ▼私は、貧しいものにこころ寄せた。
  それは自分が貧しかったから・・・。

  私は、正義を求めた。
  そうでなければ、自分のような貧しいものは、やっていかれなかったから・・・。

 
 ▼私は、素直だった。
  当時の小学校は、いまと比べ、まだまだ、昔の「文部省推薦映画」や「文部省唱歌」の
  ように、まじめで、教育は直球が投げられていた。

  間違っても、いじめられる子にむかって、「いじめるのは悪いことだけど、でも、あなたにも、
  いじめられやすいような要素があるのよネー」、なんてことは、絶対に言わなかった。



 ▼学校で習うことは「正しい」こととして、素直にそれを信じた。

  私ほど素直に、学校で教えられることを信じ、それに従い、実践した児童はいないかも
  しれない。

  それくらい、私は「馬鹿」だった。
  もし、生まれた年があと六、七年早かったら、間違いなく「皇国少年」になっていたろうと
  思う。


 ▼級友の中には、もう自我の目覚めのある年齢で、とっくに「世間ずれ」していて、
  子供ながら、処世のできる子供もいた。

  それで当たり前だろうと思う。


  教科書どおりに世間がなっているはずはない。
  それは子供だってわかることだった。

  私にも、それはわかっていた。
  だが、私は誤っているのは「世間」であって、「世間」は「教科書」に書かれているように
  あるべきだ、と考えた。



 ▼あるとき、交通規則の話があった。
  「右側通行」ということを習った。

  その日、私は小学校の裏門を出て、図書館の前を通り、公会堂の前を歩き、
  橘通に出て信号を渡り、ずっと家まで「右側通行」で帰った。


  「ヤバイ人」である。



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