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2006年02月02日00:07

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●寄り道ついで (36)/■続続・灸をすえる

■祖母・きしの

 ▼高見順は「わが胸の底のここには」の中で、母・古代(こよ)から
  灸をすえられた思い出を、次のように書いている。


  「後年、私が子の親に成っても、いい齢に無事達したとき、
   幼時の私を知っている人に会うと、その人は言った。

    「おとなしいというのか、我慢強いというのか・・・」
   
   右の人差指のコの字に曲がる、字でいうと下の鍵の角の上に、
   火のついたもぐさをちょこんと乗せて、そして幼い私は部屋の隅に
   ちょこんと坐って、ゴメンナサイ、ゴメンナサイと言って泣いていたという。

   大粒の涙をぽろぽろこぼしながら、小さな子供がおとなしく、お灸を据えられている。

   ――それには、その人も魂消たという。
   ちょっと手をはらえば、もぐさはとれるのに、まるで「行」でもしているみたいに、
   お灸が幼い皮膚をじりじり焼くのを我慢して、ただ言葉で、モウシマセンカラ、
   ゴメンナサイと、母親の許しを願っている」
                               (「わが胸の底のここには」から)


 ▼「人差指のコの字に曲がる、字でいうと下の鍵の角の上」とは、
  どこか、お分かりになるだろうか。

  私は、すぐ分かった。
  というのも、私も同じ場所に、祖母にすえられたお灸の痕があるからだ。

  親指と人差指で「コ」か「つ」の字のような形をつくり、その二つの指の股になった、
  親指寄りの場所がそれである。

  私は右手にふたつ、左手にもふたつ、お灸、つまり「やいと」の痕が
  小さく、薄く、いまも残っている。


 ▼私の祖母・きしのは、前に書いたとおり、6人の子を産み、
  寡婦となってから女手ひとつで男4人(のちに一人は池で溺れて死んで3人になった)と
  女2人の子を育てた。

  私が祖母の家で生まれてからは、所帯はさらに増え、一時は、14人の大家族であった。
  それを切り盛りする祖母は、気丈で、なんでもテキパキかたづけ、子や孫にも
  そうした態度を要求した。

   http://mixi.jp/view_diary.pl?id=32802111&owner_id=1040600


  だから、子供も孫も、この祖母に大いに叱られ、厳しくしつけられた。

  しかし、叔父たちを含め、いくら言っても、祖母の言いつけを守らない
  腕白な子や孫は、箒で追い掛け回されたり、手足をしばられ、柱にくくりつけられて
  「やいと」をすえられた。



 ▼3人の叔父と、私、そして2人の従兄弟は、みんな私と同じように、
  親指と人差指の交わる付け根のところに、「やいと」の痕がある。

  高見順よりも、「やいと」の数は私の方が多いように思う。
  そして、もっと暴れたように思う。
  
  たしか、柱を抱くようにして、両腕を柱にまわし、その両手首に手錠のように
  縄をまき、手の自由を奪われて、灸をすえられたように思う。

 
  「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ」
  「モウシマセンカラ、ゴメンナサイ」

  いまでも聞こえてきそうな、泣きながら謝る幼い声は、
  高見順も私も、いっしょだったように思う。


  
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