■折檻
▼高見順(高間芳雄)は明治４０年１月、福井県坂井郡三国町に、
母・高間古代(こよ)、父・坂本�デ圭�(さんのすけ)の私生児として
生まれた。
�デ圭�は当時・福井県知事で、古代は「三国小町」と呼ばれた
美しい女性だった。
�デ圭�が県下巡察の際、三国で二人ははじめて出会って、古代は
高見順をみごもった。
古代の家は「覚前屋の六兵衛」といわれる代々の庄屋だったが
古代の父が身上をつぶし家出して、高見順をみごもったときには、
祖母・コトと母の古代二人というわび住まいだった。
▼�デ圭�は、旧尾張藩士・永井匡威の三男で、坂本家に婿入りし、
古代に会う前に、家付き娘の妻を喪っていた。
古代は、みごもった子を幾度か堕ろそうかと思ったが、愛情が
断ち切れず、ついに「ててなし児」である高見順・芳雄を産んだ。
芳雄が生まれたとき、これを喜んだのは祖母のコトと、母・古代
だけだった。
後妻をもらったあと、�デ圭�は人を介して「芳雄をこちらに渡し、
あなたはほかに嫁いではどうか」といってきた。子の幸せを
考え、芳雄を手放そうとしたが、迎えに来た人を恐怖し、泣き叫ぶ
芳雄を見て、坂本の家の申し出を断り、自ら嫁ぐことをあきらめ
わが子を自分の手で育てていくことを決意した。
▼知事が見返りもせず、背後からかばう者が誰もない祖母・母・子の
すぐにもつぶれそうな女所帯に、三国の町の人々の軽蔑や陰口は
絶えなかった。
手の届かない「えらい人」の子を生んだ美貌の女への、嫉妬をまじえた
反感が、軽蔑や陰口に拍車をかけた。
一年半後、古代はいたたまれず、母と芳雄を連れて東京に出た。
古代、数え年三十一歳だった。
▼�デ圭�は芳雄が生まれたあと、こんどは鹿児島県知事に転任し、
古代が東京に向かったとき、枢密官顧問となり、東京・麻布に
屋敷を構えていた。
古代は他に頼るものもなく、結局、�デ圭�の屋敷近く、麻布・飯倉
三丁目あたりに一時住むことにした。
このあと、古代は人を立てて月１０円の手当てを�デ圭�からもらい、
同じ麻布の竹谷町の長屋に移った。明治末でも、月１０円では
生活は不可能だった。＜お縫物致します＞と小さく書いた紙片を
入り口に貼り、裁縫で暮らしを立てた。
▼この後も、新堀町や麻布区内を転々としたが、竹谷町の長屋暮らしが
もっとも長く、高見順が小学校を卒業するまでの時期のほとんどを
この長屋で過ごした。
�デ圭�の愛情が期待できない今は、芳雄は古代の唯一の愛情の
対象だった。転々としながらも麻布を離れなかったが、�デ圭�は
その間、自分の子である芳雄に会おうとしなかった。そして、
生涯、ついに会う機会をつくってやらなかった。
▼子供は厳しくしないと一人前にならない、という旧家に育った古代は
芳雄を厳しくしつけた。とくに、わが手で芳雄を育てると決心して
からは、いよいよ厳しくした。
箸の上げ下ろしから、行儀、言葉遣いの端々までやかましくいい、
芳雄が弁解しようとすると、
「親に口答えはなりません」
と口を封じた。さらに、言うことを聞かないときは折檻も辞さなかった。
▼あるとき、その折檻があまりにひどく、芳雄が泣き叫ぶので
長屋の店子たちが大家に頼んでとめてもらうことがあった。
大家は、こんな小さな子供だから、もういい加減にしてやったら
どうかと言った。
それに答えて、
「いいえ、いい加減にするわけにはまいりません。
大事な子を折檻するわたしの気持ちにもなってください」
と、言ったという。
▼「灸をすえる」は、そんなときの高見順の話である。
私が「やいと」を思い出し、自分の小学校にあがる前のころと、
この高見順とを重ね合わせたのだが、この続きは、明日にしよう。
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