mixiユーザー(id:1040600)

2005年12月30日10:57

81 view

●寄り道ついで (10)/■オモイノタケヲ

■年の瀬

 ・働き始めてから、「年の瀬」はいつも大晦日まで仕事で、
  紅白がはじまる時間に帰宅できれば、いい方だった。
  
  たいていは店舗応援で、店頭で「餅売り」をした。それが、
  1982年(昭和57年)の暮れは宮崎で「年の瀬」を迎えた。
  12月27日、母が亡くなったからだ。


 ・東京に住んでいた頃、母に連れられ、両国・千歳町から路面電車に
  乗り、森下町まで正月用品の買出しに行った。栗の甘露煮、
  田作り、ニシン、かまぼこ、数の子、大根、にんじん。

  母はやはり晦日まで働いていて、もう充分暗くなった暮れの町を、
  私を伴い、がま口からお金を出しては、荷物を持たせ、あわただしく
  正月用品を取り揃えた。

  裸電球の下で縄につるされた新巻き鮭を、母と私は立ち止まって
  見た。
  それはまるで、ひとつの「幸福」のように、まるごと一本の
  鮭は、紅色の身に荒塩がキラキラと光り、すぐそこまで正月が
  やってきていることを感じさせた。

  真新しい真っ白の肌着、「福助」のシャツやパンツも買った。



 ・それからの私は、年末の光景をもう買い物客として思い出すことが
  ない。


  それがその年の暮れ、母の喪中のなか子供を連れて、
  ささやかな正月を迎えるために、宮崎の街を買い物客として
  歩いた。

  あわただしさと、知らない人々のざわめきが心地よかった。
  新しい年がやってくるように思えた。


■案内
 ・日記「総目次」 −テーマ別−
 ・「Home」&「更新記録」

0 6

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する