■五木寛之(著)「青い鳥のゆくえ」 (続き)
昨日、「青い鳥のゆくえ」について、ここまで話した。
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チルチルは舞台の前にすすみ、観客に向かってこうつぶやく。
「誰か、あの青い鳥を見つけた人は、どうか僕たちに
返してください。 僕たちは、幸福に生きていくためには
あの青い鳥が、どうしても必要なんですから――」
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そして、
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この話を枕に、五木寛之の話が始まる。
だが、きょうはもうここでやめよう。話が長くなってきている。
続きは日を改めて書く。
「かなわぬことを願ってはならぬ」という山田太一の言葉と
どうつながるのか。「幸福」ということ、「幸福探し」といことについて
もう少し語ってみたいと思う。
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というところで、話は終わった。きょうは、その続きである。
五木は「メーテルリンクがあえて、若い人たちに、あるいは
少年・少女たちに、これほどリアルに残酷な物語を突きつけた
真意はいったいなんだろう」と問う。
彼は考えた結果、こう結論した。
「安易に手に入る幸福とか希望というものはない、また、
それらがすでにどこかに存在していると考えるのは間違いで、
そんなものは、この世の中どこにもない。人生に希望や
幸福は、はじめから用意はされていない。宝島で宝を見つけるように
それらはどこかにころがっているわけでもなく、あるいは
隠されているわけでもない」
では、どうすればいいのか。
<青い鳥>は私たちの手から失われ、すでにここにはない。
しかし、チルチルの最後の言葉のように、人間には希望とか
夢とか、それはあるいは幻想かもしれないが、そういうものが
なくては生きてはいけない。
<青い鳥>は必ず飛んで逃げてしまうにしても
私たちは、それを自分の手で作り、絶望の中で希望を育てるようにして
生きていくよりほかはない。
五木の話を要約すれば、そのようになる。
そして、話は「慈悲」に及ぶ。
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