ふとしたことで、50年も前に卒園した幼稚園で、子供相手に「数学」を教えることになった。数もまだ十分に数えられない子供もいるようなところで、一体どうするのかと思ったが、別に難しい話をするのではなく、「かず」に関する感覚がなんとなくわかるような話をしてほしいとのことである。
大学生だった頃、この幼稚園の創立20周年記念誌を出すからと、卒園生として何か書いてくれと頼まれたことがある。私はよほど印象に残った子供だったらしい。まさにその登園初日の出来事の思い出を書き、近況も含めて、現在は大学で数学を勉強していると書いた。どうやら、そこから話が出たらしい。
あまり難しく考えるのはやめて、第1回はこんな話をした。
リンゴが3つ、ミカンが3つ、ナシが3つ、カキが3つ。どれも同じく3つだね。では、ここからはリンゴだけを使っておはなししよう。(数の抽象化)
3つを、今度は4つ、5つ、6つとふやしていきます。いちばん大きな数は何かな?
(「ひゃくおくせんま〜ん」みたいな意味のない数字が出るかと思ったが、ここは反応なし。)
いっぱいかぞえてもおわらない、すごく大きな数があるんだ。でも、どんな大きな数だって、まだまだもっと大きくできるんだよ。だって、りんごを1つおけばいいんだもの。もう1つ、もう1つ... (自然数が可算無限であること)
では、こんどはお友だちとりんごを分けてみよう。りんごが6つあります。2人でなかよく分けたら、何個ずつになるかな? 「3つ!」 おっ、正解だね。では、3人で分けたら? 「2つ!」 お、みんな頭いいね。では、4人で分けたら? そう、分けられないよね。 6つのリンゴは、2人か3人ならなかよく分けられるのに、なかよく分けられないときもあるね。 (約数の概念)
では、もっとたくさんのりんごをもってきましょう。8つだったら? 9つだったら? では、11だったら? 2人ではなかよく分けられないね。どっちかが多くてけんかしちゃうぞ。3人でもだめだ。11だと、どうしても分けられないみたいだね。(素数の存在)
じゃあ、もっと多くして100こだったら? 200こだったら? 何人いてもうまく分けられそうかな? ところが、うんとたくさんのりんごがあっても、11個のときみたいに、うまく分けられないことがあるんだ。(大きな素数の存在)
とまあ、こんな話を30分。予想していたより反応がよかったかもしれない。次はどんな話をしよう。
・・・というような夢を見た。
なんなんだ、この夢は? 幼稚園児相手に、分かりやすく数の話をする自信なんかない。とはいうものの、うまく出来れば、案外幼い頃から数学的センスが知らず身に付くかもしれないぞと、少し思ったりした。この夢の中で、唯一の事実は、創立20周年記念誌に原稿を頼まれて、上述のようなことを書いたことである。これが、今になって夢の中でかようなストーリーになったのか。
子供の頃から数学的センスが身に付くのは、実際かなりよいことだと思う。今となっては誰も信じないからあえて強調して書いておくが、私は幼い頃は神童といわれていた。小学校に入る前に、数は正確に数えられ、たし算や引き算など計算もできるようになっていた。掛け算の九九も、学校で習う前に理解していた。みんなそんなものだと思っていたら、小学校3年くらいだったか、2桁の掛け算を習う頃、20×30=60 なんて書く同級生が意外と多いことに気付いたりしたのだ。
話がそれたが、今朝見た夢が印象的だった、という話。
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