遠出はしないお盆休みである。今日は、自宅から徒歩で行ける岡本太郎美術館に久しぶりに行った。岡本太郎は、いうまでもなく、川崎が生んだ偉大な芸術家であり、美術館は生田緑地の奥の方にある。生田緑地も、施設閉鎖中だった緊急事態宣言中を過ぎて、日常に戻りつつある。
岡本太郎美術館に行くのは初めてではないが、面白そうな企画展示があると行きたくなるのである。今やっているのは「古事記展」だ。「古事記」好きとしては見逃せない。
入口のところで検温とアルコールによる手指消毒を行う。マスク着用も必須だが、マスクがなくても、「ここで自分で作って着用して下さい」というコーナーがあり、こんなところも美術館らしい。私は、(この暑いのに)マスクは着用しているので、そのまま入る。
(美術館の入口)
館内に入った瞬間から岡本太郎ワールドにどっぷりと浸る。常設展の展示も何回か見ているが、見るたびに何かしら発見があるような、あるいは前と違ったように見えるような、そんなところもある。作品のタイトルを見ずにイメージしても、なんだかよく分からず、タイトルを見るとますます分からないものも多いが、それでも何かを感じることは出来る。芸術は「分かる」ものではなく「感じる」ものなのだろう。
館内は撮影自由だという。以前は、一部のコーナーだけだったと思うが、今はどこでも撮影可だという。岡本太郎は、「芸術は特定の金持ちの家に飾るものではなく、広く大衆の目に触れるものであるべきだ」と言っていたが、撮影が自由なだけでなく、触れたりできる展示もあり、そんなところも岡本太郎の芸術観を反映しているのかもしれない。
(館内にて(その1))
(館内にて(その2))
(館内にて(その3))
館内は、そこそこ(密にならない程度に)人が入っている。岡本太郎先生もマスク着用だ。
(マスクをつけた岡本太郎)
さて、常設展コーナーを抜けると、企画展のコーナーだ。高橋士郎による空気膜造形(要するにデカい風船のようなもの)によって、「古事記」の世界を造り出したものである。別天(ことあまつ)、七代(ななよ)、生國(くにうみ)、生神(かみうみ)、黄泉(よみ)、禊(みそぎ)の順に、それぞれの「神」を表現した「空気膜造形」が置かれているものだが、これが想像していたものとかなり違っていた。たしかに言われてみれば、「古事記」のはじめの部分、天地の境もない混沌とした状態から、アマテラス、ツキヨミ、スサノオが誕生するまでを表現しているのが分かるが、なんとも不思議な世界である。いや、実際にこの世が生まれる前の話だから、そうなのかもしれないが。
(古事記展にて)
岡本太郎の芸術に再会し、「古事記展」も観て、美術館をあとにした。外はまだ暑い。
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