mixiユーザー(id:60260068)

2020年07月01日13:24

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二年前にこんなこと書いてましたね(伊勢物語について

(伊勢物語でどの歌が好きかのトピック)

百二三段『深草』ですよ

野とならばうづらとなりて鳴きをらむかりにだにやは君は来ざらむ  

 本気で涙が溢れるかと思いましたが、とりあえず「鶉」「狩」をどう小説にアレンジしようかと、深い情に感動する心の向きを反らせてやり過ごしました。

なぜ男が来なくなれば草が更に深くなるのか、イマイチよく分かりませんでしたが、「来る(行く)」ことを「踏む」とも言うので、通わなくなれば、草が踏まれずに育つって事でしょうね。
「他に通う男も居ないだろう」という男の心が見え隠れするところが在原業平(現代では言えばホスト?)的ではないんじゃないかと思えて(ちょっと結末との内容の差異としてはチグハグ)、これが逆に、読者が女に感情移入するように仕組まれた作者の巧妙な罠なのかもしれませんが、
泣ける。
ちょっと男が用もなく来ないでしょう、だから、せめて、もしかして、狩りに立ち寄るか寄らないか分からないけれど、それを草叢で鳴き(泣き)ながら、それも射(い)殺される時にちょっとお会いするためだけに、ずっと、待ってる訳です。ああ、何で、何で捨てて行く男にそんな、俺が行くから、と思ってしまいます。
想像力を掻き立ててくれる素晴らしい文学作品ですね
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