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2018年11月11日16:15

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ジャンボ鶴田怪物伝説(400)

馬場、鶴田、天龍北米サーキット、3月5日は鶴田が単独でミネソタ州ミネアポリスのチャンネル29テレビスタジオにおいて次回ハウスショー(3月11日ウィスコンシン州グリーンベイ・ブラウン・カウンティアリーナ)に向けてのTVテーピングを行いました。

鶴田はテレビ局のスタジオに作られたリングで2人のTVマッチ専用と思われるジョバーと対戦。(試合はいずれも5分1本勝負)

先ずはジム・マックを3分5秒、バックドロップホールドで降し、続いてはナチョ・ベルモを3分18秒、バックドロップからの体固めで降しました。

ローカルテリトリー時代のアメリカでは日本と違い、番組にスポンサーが着いて、広告料収入から制作費を差し引いたものが放映権料として団体側に支払われる、という仕組みではなく、団体側がローカルテレビ局から時間帯を買い取り、試合を放送します。

テレビで放送されるの試合は原則トップレスラーvsジョバーという組み合わせで、トップレスラーが一方的に勝ってしまいます。

この年の10月22日にテレビ東京系で放送が開始された「世界のプロレス」のザ・ロード・ウォリアーズの試合がわかりやすい例で、ハウスショーに向けてメインイベンター達が自己の強さをアピール。

「○月●日の✕✕アリーナでは△△も同じ目に合わせてやるからな、△△が俺にぶちのめされるところを見に✕✕アリーナへ来い!」

とハウスショーの前宣伝みたいなアピールをし、ハウスショーのチケットを購入させるのが目的です。日本と違いハウスショーはテレビ中継されず、あくまでもテレビはプロモーターにとっては観客動員の手段に過ぎません。

日本ではテレビ局のプロデューサーが海外に交渉に一緒に同行する、という話を聞いたことがあるかと思います。

69年8月、NWAに加盟を申請していた国際プロレスの吉原功社長が案の定、日本プロレスの妨害工作に遭って反対多数で否決された時、吉原社長はTBSのプロデューサーを帯同していましたが、その足でミネソタ州ミネアポリスのバーン・ガニアの元に飛んで業務提携を結んだという話。

72年9月、日本プロレスに辞表を出した馬場が、日本テレビの支援の元、新団体全日本プロレスを旗揚げするに際し、外国人選手のブッキングルートを開拓すべく渡米した時に日本テレビの原章ディレクターが同行。ドリー・ファンク・シニアを始め多くのプロモーターから協力を得たという話。

いずれも「豊富な資金力を持つ日本の『民放』の人がいたから彼らは信用して積極的に契約に応じた」という文献が大多数でこの説が定説になっていました。

しかし、Gスピリッツに出ていた佐藤昭雄のインタビュー記事によると、「アメリカのプロモーターは日本の『民放』の仕組みをよく知らない。テレビ局の人間が付いて来てもなかなか信用されない」とコメントしています。

確かに馬場が全日本プロレスを旗揚げするに際し、テキサス州ダラスのフリッツ・フォン・エリック(ジャック・アドキッセン)のところへ外国人選手のブッキングを要請したところ、「態度保留」され、フリッツは崩壊直前の日本プロレスに来日していますから、アメリカのプロモーターの全てが「日本のテレビ局はお金を持っている」と思っていたとは限らないということでしょう。

この年に始まったビンス・マクマホンのWWFによる全米制圧計画は、アメリカのテレビプロレスの仕組みも根底から覆して見せました。

ケーブルテレビを使い、ハウスショー、ビッグマッチもテレビで放送する、それによりハウスショーに客が減ったかというと逆でした。

「テレビで見たWWFのプロレスが見たい」と全米での興行が当たりまくりました。

ハルカマニア時代のハルク・ホーガンのプロレスは内容は日本のファンが見たら馬鹿馬鹿しいレベルの試合が多かったですが、アメリカのファンにはガッチリと受け止められ、WWFのビジネスはたちまち巨大化していくことになります。

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