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2018年10月26日23:24

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短編小説『夜の雫』

 フロントガラスに触れた雫は、すぐそばの水滴に吸い込まれて大きくなった後、形を変えて平たくなると、自重に堪えきれず、更に下の雫と合わさって一気にフロントガラスを滑り落ちた。
 黒い影が大きくなり、焦点を車外にやると、黒いワンピースを着た女性が足早に近づいて来る。確かに私の方に視線を合わせている。どこかで会ったことがあるようにも思える。既に私はエンジンをかけ、駐車場から出る準備をしていたところだったが、ウィンドーを開け、顔を出してその女性に声をかける。
「どうしました?」
 女性は運転席側に歩み寄り、人慣れした笑顔で答える。
「すみませーん、実は、バッグを置き引きにあってしまって、サイフもカードも何も無いので、方向が同じでしたら、大変申し訳無いのですが乗せて頂けませんか?」
 これからアパートへ直帰する予定だったので、県内なら、という事で彼女の申し出を快諾する。彼女が助手席に乗り、微かにいい香りがしている。
「大変ですね、……」
 車を出しながら、一瞬、彼女の方を見る。
「どちらに送れば良いですか?」
 彼女の髪は小雨にあったせいか、夜の街灯に煌めいている。
「すみません、とりあえず、三号線を西に向かって頂けますか?」
 こちらを向いた彼女の瞳は、付き合い始めた恋人のように好意的に見える。
「え?ああ、東ね。」
 答え方がおかしいと思ったが、場の雰囲気を崩すまいと、私は素直に彼女の言う通りに車を走らせる。
「携帯も持って行かれたんですか?」
 彼女の瞳を見る。
「ごめんなさい……」
 彼女は俯いて、泣き出すのではないかという面持ちだ。
「ああ、気にしないで下さい、どうせ暇なんですから。」
 バッグを盗られたからか、親切を受けたためか、それにしても泣きそうになるのはどうかと思う。
「そうじゃなくて、嘘なんです。」
「は?……」
 私は彼女の次の言葉を待つ間、刃物を出された場合にどう対処するかということまで考える。
「いや、嘘って、置き引きのこと?」
 彼女は私の目を見て、涙を流している。
「ちゃんと話してよ、何んにも分からないから、ね?」
「全部、嘘なの。」
 きっぱりと、事務的にも思える口調で彼女は言った。沈黙の車内に、ワイパーが往復する音とタイヤホールに雨水が跳ねる音ばかりが響いている。
「え?君は……」
「……由紀よ。」
 私は、悲しい記憶を追い払うように、首を激しく横に振る。
「ふざけるな!何言ってるんだ、誰に頼まれた、由紀とは顔が違うじゃないか、いい加減にしろ!」
 彼女が私をじっと見つめているのが分かる。
「本当は愛していたの。永遠に愛してる。」
 私は恐る恐る彼女の顔を見た。顔は何も変わらない、ただ、目の前の彼女と、私の記憶の中の由紀との顔がぴたりと合わさり、そして由紀は私を見つめ、涙を流している。
「由紀?……じゃあ、どうしてあの時、あんなに軽々しく別れるって言ったんだ!」
 由紀は顔を伏せて言う。
「その方が、貴方にとって良いかと思って……私、末期癌だったから……」
 私は激しく動揺し、固く目を瞑って頭を抱えた。
「ああ……!」
 その時、目蓋に閃光が走り、目を開けると視界は真っ白になり、私はゆっくりと車室に潰されていく。
「思い出した!俺は、事故で……じゃあ君は……」
 由紀の方を向くと、私たちは草はらの中で星の光を浴びて向かい合っている。
「気づいたのね、貴方が亡くなった後、私はずっと泣いてた。嫌いだなんて言いたくなかった。言っちゃいけなかった。これほど愛していたんだから。」
「じゃあ、君も亡くなったのか?すまない、君を守ると言っておきながら、俺は何て役立たずな……」
「でも、こうして永遠に側に居られる。」
 私と由紀は、星の海を仰ぎ、二人合わさると、一瞬で無数の粉になり、永遠に宇宙を広がり続けている。

 


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