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2018年10月02日12:40

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どうしても書き留めておきたかったこと・・・

長らく利用していた「いろはの湯」開業は2002年の11月30日だった。
今から16年前というと指宿に赴任している時の3年目か。
そんなに昔じゃない。てかつい最近のような気がする。
早いよなぁ・・・閉店があまりにも早きに過ぎるのもなんだけど,
時が過ぎ去るのが本当に早くてビックリしたしまう。

指宿在住の頃というと,ちょうどおは!霧を知り始めた頃かな?
まだ仕事が死ぬほど忙しくて,けどちょうど凄く良い校長に替わって来た頃。
鹿児島に帰宅するとよく出かけてたな。弟がよく行ってたのでそれで知ったんだっけ。
帰路の途中には喜入に八幡温泉もあったけどこっちの方が遙かに施設が良かった。

谷山に転勤になり,仕事終わりに寄れるようになったのは自宅が完成した10年前から。
けど,その頃は入浴者のマナーの悪さに嫌気がさしてあまり行かなくなったりもしてた。
でも,あらゆる施設が充実しているこのスーパー銭湯ともいうべき温泉。
やっぱり便利でした。居心地も良いように施設も充分に工夫されている。

駐車場も広いので余程のことでもない限り満員で入れない!なんてことはなかったけど,
時にはあまりの人出の多さに辟易して見ただけで帰ったこともあったっけ。
まさかあの人気大規模温泉施設が経営難で閉店に陥るとは・・・
本当に残念,というかこれも世の中の流れなの?こんなもんなのか?

先日の台風で雨漏りした屋根を点検に母の家に行った時,隣と同じ作りだって
そこで初めて知った。ビックリしたな。そしてその老朽化にも唖然とした。
そうなんだよね。うちの両親が店を畳んで繁華街の堀江町の土地を売り払い
この家に越してきたのは今から30年前のこと。ちょうど平成が始まった頃でした。

あの頃はこの辺りもひと通りが結構あって賑わっていたけど今では殆ど無し。
閑散として潰れた店や廃墟ばっかり。昔の商店街の面影なんて全く無い。
両親も父が亡くなり,母独り暮らしで,妻の世話がなきゃ生活出来ないレベル。
この家に越してきた頃,妻が嫁入りして間もない頃で,あの頃は一番豊かな感じだった。

娘が生まれて蝶よ花よと明るくすくすく育っていった。両親に見せるのも楽しく,
仕事を畳んだばかりの両親もあちこち好きなように旅行を楽しんでたっけ。
さすがに旅行にも飽き,家でのんびりの生活が始まったけどそれはそれで良かった。
そうやって末娘が小学校に通うようになって3年生くらいの頃に出来たのがいろはの湯。

ちょうど自分も体調を整えるというか,疲れを取るために温泉に行き始めた頃だった。
実家のすぐ近くにある慈眼寺温泉と湯の川温泉。それといろはの湯だったな。
ああ,そういえばよく通っていて結局閉鎖されたのは谷山電停近くの田中温泉。
ここも相撲部屋の力士達が地方巡業の時にやって来たりと賑やかな温泉だったのに。
栄枯盛衰とはよくいうけど滅びる姿を見せつけられることは辛いなぁ。

実家近くには牧場温泉ってのがあって,そこも7〜8年位前に閉鎖したんだった。
考えてみれば自分の周りもそうなんだよな。父が脳梗塞で倒れて半年後に亡くなり,
数年後に鹿屋の叔父,叔母が相次いで亡くなり,ついには弟も昨年亡くなった。
今はうちの家族は遠く離れた東京に住む姉以外は自分と母のみってこと。

自分の生活から母の生活まで全部妻のお世話になりっ放し。
今ではうちの重要な案件は妻が支えているといっても過言じゃない。
あんなに細い存在でけなげに生きてきた妻は今では三人の娘達を育て上げ,
嫁ぎ先のうちを支えるもの凄く大切な存在になっているんだよね。

たか〜だか温泉ごとき!とは思ってもこんなことまで考えてしまう。
これからの人生,後悔のない生活をするためにも妻を何より大切tに,母を大切に
自分の身体を大切にしていかないとな。そう思った今日この頃。
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