8/8(火)、シネマe-ra浜松で『マンチェスター・バイ・ザ・シー』を観る。
昨年の米アカデミー賞で脚本賞と主演男優賞を取った。
真摯で秀逸な映画だが、アメリカの病根は深い、そうも思った。
監督･脚本 ケネス･ロナーガン
撮影 ジョディ･リー･ライプス
編集 ジェニファー･レイム
美術 フローレンシア･マーティン
音楽 レスリー･パーパー
出演 ケイシー･アフレック,ルーカス･ヘッジズ,ミシェル･ウィリアムズ,カイル･チャンドラー 他
受賞 (米アカデミー賞以外で)ゴールデン･グローブ賞主演男優賞、ニューヨーク批評家協会賞脚本賞/主演男優賞/助演女優賞 他
2016年/アメリカ
主人公リーは、ボストンの古いアパート、半地階の狭い部屋に住み、アパート内の水漏れやトイレの詰り、壁塗りやゴミ捨て、簡単な電気工事等の対応をして暮していた。
アパートの住人や管理人達は彼を「便利屋」と呼んで都合好く使っていたが、腕はいいのに短気で物言いが乱暴、管理人室にクレームがくる事もしばしばだ。
そんな日にはバーで人々と離れて1人呑み、ちょっとした事を原因にして、喧嘩沙汰も起こす。
かっとし易く、抑圧を言葉のコミュニケーションで解消できない為、繰り返し暴力に依存してしまう、そんな幼児的性格が、リーには強く残存した。
こうした性癖は一体どこから来たのか？
ある昼過ぎ、マンチェスター･バイ･ザ･シーの病院から携帯に電話が入る、兄が倒れたと。
リーは、1時間半で着くと答えて、車に乗った。
日本人は殆ど知らないが、マンチェスターというと、まずイギリス第2の都市(産業革命の時代には綿工業で中心的役割を果たした)、そしてアメリカ･ニューハンプシャー州の大都市、それ以外に、このマンチェスター･バイ･ザ･シーという小さな町があるらしい。
マサチューセッツ州ボストン、その北部大西洋岸沿いにこの町はあって、港は漁業で賑わった事もあったが、今はボストンの避暑地という位置付け、人口は5,000人程である。観光以外に言うべき産業はなく、季節を外すと、町に活気は見られない。
元々は同じマンチェスターを名としていたが、ややこしいという事で、1989年にこの長い名を正式とした由。
車に乗って高速を走らせながら、リーは数年前迄暮した郷里マンチェスター･バイ･ザ･シーの事を思い出す。
様々な記憶の映像は、映画の中あちこちで、予告なしに割って入ってくる。
兄ジョーの運転する小型船(「クラウディア・マリー号」と舷側に書いてある)に乗り、まだ幼かった兄の子パトリックと3人の幸せな釣りの記憶。
しかし、雲はどんよりして、陽の光は乏しく、海は灰色をしている。
どうやらリーに幸せな記憶は少なく、後は嫌な事が多かったらしい。
何故マンチェスター･バイ･ザ・シーを離れる事になったのか、記憶の回帰によって、少しずつ観客にも判ってくる。
それは、彼の性格の成因とも重なっているようだ。
リーが病院に着くと、兄ジョーは1時間程前に死んでいた。
包容力のあるいい兄だった。死因は、持病の心臓の悪化による。
リーとジョーの両親の内、父は、1度だけ記憶の画面に現れる。母はもっと先に死んだのか、1度も登場しない。
父については殆ど何も語られず、印象は極めて薄い。
兄の持病について病院のカンファレンスの日、強い印象で記憶に残るのは、ジョーの妻である。夫の余命が5〜10年と説明があったにも関わらず、アルコール中毒によるのか、汚い暴言を吐いて病室を出ていく。追い駆けていく父。
その後、彼女は夫ジョーと自分が産んだ子パトリックを置いて、出奔してしまう。
ジョーは、リーにとって、兄というより父親代わりだったのではなかろうか。
リーは病院の冷暗室で、ジョーの冷たくなった遺体を抱く。
リーは、ハイスクールにジョーの一人息子パトリックを迎えにいく。
彼はアイスホッケー場で練習試合をしていた。アンフェアなファイトで、監督からまたおまえかと注意を受ける。
リンクサイドのリーに近寄っていくパトリックの後ろ姿を見て、同級性の何人かが、あれがリーだ、と囁く。
あれがリーだとは、どういう意味か？
パトリックは、リーに連れられて冷暗室入るが、父の遺体を怖ろしそうに見ると、触れもせずに飛び出ていってしまう。
身体はリーと変わらぬ程大きくなったのに、また、父の持病は知らされていた筈であるにも関わらず、死という現実を直視する事ができない。
家庭は様々な形で崩壊している。
パトリックは、母が家出をし行方知れず、今、父が死んだ。
父の弟、自分にとって叔父であるリーは、ある事件で町から離れ、今は車で1時間半のマンチェスター･バイ･ザ･シーに1人で住んでいる。
昔は一緒に釣りをして遊んだ仲だが、今は何だか言葉も交わしにくい。
リーの妻と3人の子の不在の訳も、次第に判ってくる。
リーは、法の上では問われなかったが、今も自責の念とその痛みと伴に生きている。
その痛みの為か、リーはまともな言葉で人と会話ができない。
パトリックの今後について、これは本人にとって大きな問題だが、リーの口から出る言葉は、ぶっきらぼうで、会話にならない。
父の葬儀の日、パトリックは家に友達を呼んで遅く迄話し、そのうちの女の子1人を泊めたいとリーに言う。パトリックの自室に籠る2人。リーは、パトリックの気持が理解できないが、何も言わない。
翌日には、パトリックが違う女の子とも付き合っている事が判る。バンドの練習を彼女の家でやるから送って欲しいとリーに要求するパトリック。練習の後は、彼女の部屋で宿題をやるフリ。迎えもまたパトリックである。
父が死んだその日でも、次の日でも、自分の性をコントロールできないティーンのパトリック。そのパトリックに、リーはいいように利用される。
翌日、リーはパトリックを伴って、ジョーの弁護士に会いにいく。
驚く事に、ジョーはリーをパトリックの後見人に指定していた。
必要な費用は用意してあるとの事だったが、リーはこの町にいられない訳がある。費用の問題ではない。
リーは、パトリックに、ボストンへの引っ越しの話しを持ちだす。例によって、説明なしの乱暴な口調である。
パトリックは怒り、友達もガールフレンドもこの町にいる、だから、引っ越しはしない、リーは便利屋なのだから何処でも仕事ができるだろう、と。
互いに全く子供の主張のぶつけ合いある。
センシティヴな問題にどう答えを見出だすか、そんな神経は2人共持ち合わせていない。
この2人は、ある意味でよく似ている。自分の事情に精一杯で、相手に気を配る余裕がなく、すぐ感情的になる幼児性。
過去においては、ジョーが何とか繋いでいたが、今や2つの家庭は共に崩壊した。
ジョーの墓地の事で、新たな衝突が起こる。
葬儀屋によれば、厳寒の今は墓穴を掘れない、遺体を冷凍にして保存し春に埋葬する、と。
リーが説明すると、パトリックは感情を剥き出しにする。金さえ出せば、今でもできる筈だと、詰め寄るが、リーは、そんな事でまた見ず知らずの葬儀屋とやりあう気がない。
ある夜、パトリックは、自宅の冷蔵庫の前でパニックに陥り、泣き喚く。
冷凍室から溢れ落ちたたチキンが、凍らせてある父の姿を想像させたのだ。
リーは、パトリックに言葉で慰める事はできなかったが、その晩中、彼のベッドの脇に付き添った。
家族の崩壊から再生のテーマは、今のアメリカ映画ではありきたりだ。
家長の死によって、護られてきた母子達はバラバラになり、いがみ合う。
そして、時間と事件とによって、再び再生の道を歩み始める。
そんなフェアリーテイルはいくらでも転がっている。
彼等が再生の為に見出だすのは、もう1人別の家長である。
このスタイルの蔓延は、アメリカの古臭さを物語っている。
トランプ大統領誕生物語だってそうだ。
ベトナムとイラクで、あるべき道から逸れ、世界から指摘されて傷付いたアメリカ人達。その痛みから、古臭い家長のような物言いの男、つまりトランプが救ってくれるのではないかと期待し、彼を新大統領にした。
彼の排他的持論「 America the first 」は、世界で一番強いアメリカを復活させ、国民の心の痛みや尊厳を癒してくれると思われた。
だが、彼の政策は悉く失敗し、成果は殆ど何もない。しかし、共和党のトランプ支持者の支持率は一向に落ちない。
彼が新しい敵を見つけては、こきおろす発言は、トランプ支持者には痛快なのかもしれない。
例えば、北朝鮮の挑発に対する彼の連日の威丈高で下品な発言。または、地球温暖化パリ協定を批判し、「デッチアゲ」だと言う。「デッチアゲ」は彼のお気に入りNo.1の言葉で、米マスコミの指摘事件や支持率低下問題に対しても、日々「デッチアゲ」の連発。だが、何を「デッチアゲ」だと言うのか、その理論的根拠の説明は一度もない。
強い家長よもう一度、では、アメリカは救われず、きっとまた間違いをしでかすに違いない。
アメリカだけでなく、我々現代人に必要とされるのは、命令しかしない旧時代の家長ではない、スーパーマンでも○△マンでもない。
強権の下で、官僚の忖度を利用し、不都合をなかったと言い張る嘘つきでも勿論ない。
互いに理解できる言葉で、静かに大人同士の会話できる人である。
リーは、パトリックが冷蔵庫の前でパニックを起こした日から、少しずつ変わったようだ。
リーはジョーの小型船を売却するつもりだった。
船のローンは終っていたが、船というものは何しろ維持に金がかかり過ぎる。モーターも壊れる寸前だった。
勿論、当初は2人共ボストンに行くと考えていたのだから、船は不要だ。
しかし、船には、パトリックにとっては父の、リーにとっては父代わりの兄の思い出が詰まっている。そこには確かに家族があったのだ。
船を残すか残さないか、それは単発の問題ではない為、答えを出すには難しく時間がかかった。
マンチェスター･バイ･ザ･シーに遅い春がやってきた。
土の氷は融け、ジョーの埋葬の日が来た。
墓地には、リーの元妻が新しい夫と赤ん坊を連れてやってきた。
墓石には、新たにジョーの名が刻まれていた。
その上には、恐らく両親のであろう名があった。
映画はひと言も説明しないが、その1つは「クラウディア･マリー」だった。
最後の最後で観客は知るのだが、船の名前は母の名前だったのだ。
きっと家族は崩壊から免れるだろう。
私はそう確信したのだった。
それは決して旧いスタイルの家族ではない。
ログインしてコメントを確認・投稿する