6月1日BS11の「あのスターにもう一度逢いたい」で「フランク永井・ムード歌謡で日本を酔わせた男」が放映された。歌謡曲番組の司会進行として定着してしまっている元NHKの宮本隆治と高野萌が司会。
フランク永井をまとめて紹介する番組がテレビではひさびさである。今回はビクターの吉田事務所の長である谷田プロデューサーがメインのゲスト。フランク永井との交流を機会あるごとに語っている作家村松友視。そして吉田学校の最若手であった三田明の3名が、フランク永井についてのエピソード、人となりを語ってくれた。
しかも、この番組でファンを驚かせたのはスポニチクリエイテブのプロモーション映像だ。この映像は初めて観た。当時どのように使用されたのかの詳細は解らないが、フランク永井のヒット曲を、独特なイメージ設定で用意されたオリジナルの映像で紹介する、当時流行のものだ。ひとが行きかう街を背景に、自宅で夫人や愛犬や愛車とたわむれるもの、ゴルフ場で遊び半分に練習するとか、ともかくリラックスしたムードがはじける。
たばこ喫煙者が今では肩身が狭くなったが、当時はたばこ姿が前面のポーズが売り?でもあったフランク永井だったので、封印映像ということでもあるのだが、ありのままを出しているところに、かえってフレッシュさがあった。「有楽町で逢いましょう」「君恋し」「おまえに」のレコード音と口パクの微妙なズレが当時のままで嬉しい珍しい映像。
さらには、フランク永井がカバーを唄うとか、洋物の歌唱の紹介とか従来の紹介番組ではなかなか取り上げられなかったものも流された。BS11らしさなのかもしれない。
さて、谷田さんはいままでフランク永井について身近におられながら、いままで表にはださなかったいくつかのエピソードをこの番組で話しておられる。ご自身がプロデュースされた1971(S46):SJX-80「フランク永井〜琵琶湖周航の歌」のこと。
当時のりに乗っていたフランク永井の声で裕次郎の「夜霧よ今夜も有難う」、菅原洋一の「今日でお別れ」などのカバー曲を作ったときのエピソードだ。
恩師吉田正がフランク永井が舞台から消えて沈んでいたときに、もしかしてと思いながら、フランク永井の作ったムードを継承して表現できるような歌い手はいないかと、手を尽くしてみたが、その思いをかなえる可能性のある人はいなかったと。そのような秘話をはじめて話したのが印象的だった。
村松さんはさまざまな著作や映像で語って追われることだが、北海道にわざわざ二人でなじみのバーの表敬に豪華訪問したときのエピソード。歌詞を作ってくれないかいと頼まれた。「詩は書けても詞となると…」ということで、思い悩みながらも実現せずだったと。
三田さんは吉田学校の同僚とはいえ、ひとまわりも代が異なる上に、すでにビッグネームの大先輩だったと。楽屋の時間待ち、というか、当時はタレントは楽屋から出さないというような業界のオキテがあり、そのために有り余る時間にカケゴトとかに費やして楽しんだ話とか。
先日何かの番組でビクターの同僚だった曽根史朗が元気な姿を見せていたが、フランク永井と同じ舞台で活躍した方々が少なくなってきた。三田さんはそうした経験を語れる貴重な方でもある。そして最後に、先輩への思いを手紙読む形で締めた。
親しく接した方々の生きた証言によって本人の人となりを浮き彫りにしてく、見ごたえのあるいい番組であった。BS11の企画をされた方の姿勢が感じられた。何人かの方々から「観たよ」「よかったよ」とメールをいただいた。
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