●2014年03月28日 (金) 未明
▼「役に立つ」かどうか、
そんな事を考えて生きてきたワケではない。
人のため世のために「奉仕」したいとは思っていない。
正しいか、正しくないか、
それを判断する
自分の倫理観はあったと思う。
そして、その自分の倫理観が
正しいか、正しくないか
その判断にあたっては
より普遍的な立場に立とうと思った。
▼「普遍的な立場」とは何だろう。
そんな立場なんてあるのだろうか。
誰でもがなれる立場、
金持ちにはなれないが、貧乏人にはなれる。
働かなくても食べていける人にはなれないが、
働かなければ生きていけない人にはなれる。
「普遍的な立場」「普遍的な真理」なんて
なかなか及びもつかない。
「個人的なこと」は「個人的なこと」だけれど
その「個人的なこと」を徹底すれば、
ほかの誰だって「個人的なこと」しか持ち合わせはないのだし、
もし、生物として、種として、同じ類いの生き物であれば
どこか共通するものが、あずはずだ。
むつかしい事は言わなくても、
私はメシを食いたいが、隣にメシの食えない人がおれば
メシを食うても喉につまる。
▼いつも思う。
私の想像力など、ほんの30センチ
跳び上がる程度のものだと。
目の前に見えるのは、
家族や縁ある人たち、
そして友達や見知った人たち。
それ以外は、みんな
想像力ではあるが
実行力は30センチも
届かない。
▼いま、「役に立つ」ことはあるだろうか。
いままでも、「役に立つ」ために生きてきたことはない。
けれど、誰かが「ささやかだけれど役に立つこと」と書いたように
「役に立つ」ことはいいことだ。
「役に立たない」ことは
はっきり宣言しているが、
『慰安』だけでもいいのだろうか、と
ふと思ったりするのだ。
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