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2014年03月28日02:48

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■「役に立つ」

●2014年03月28日 (金) 未明

 ▼「役に立つ」かどうか、
  そんな事を考えて生きてきたワケではない。
  人のため世のために「奉仕」したいとは思っていない。

  正しいか、正しくないか、
  それを判断する
  自分の倫理観はあったと思う。

  そして、その自分の倫理観が
  正しいか、正しくないか
  その判断にあたっては
  より普遍的な立場に立とうと思った。


 ▼「普遍的な立場」とは何だろう。
  そんな立場なんてあるのだろうか。

  誰でもがなれる立場、
  金持ちにはなれないが、貧乏人にはなれる。
  働かなくても食べていける人にはなれないが、
  働かなければ生きていけない人にはなれる。

  「普遍的な立場」「普遍的な真理」なんて
   なかなか及びもつかない。

  「個人的なこと」は「個人的なこと」だけれど
  その「個人的なこと」を徹底すれば、
  ほかの誰だって「個人的なこと」しか持ち合わせはないのだし、
  もし、生物として、種として、同じ類いの生き物であれば
  どこか共通するものが、あずはずだ。

  むつかしい事は言わなくても、
  私はメシを食いたいが、隣にメシの食えない人がおれば
  メシを食うても喉につまる。


 ▼いつも思う。
  私の想像力など、ほんの30センチ
  跳び上がる程度のものだと。

  目の前に見えるのは、
  家族や縁ある人たち、
  そして友達や見知った人たち。

  それ以外は、みんな
  想像力ではあるが
  実行力は30センチも
  届かない。


 ▼いま、「役に立つ」ことはあるだろうか。

  いままでも、「役に立つ」ために生きてきたことはない。
  けれど、誰かが「ささやかだけれど役に立つこと」と書いたように
  「役に立つ」ことはいいことだ。

  「役に立たない」ことは
  はっきり宣言しているが、
  『慰安』だけでもいいのだろうか、と
  ふと思ったりするのだ。



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