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2010年06月24日19:04

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■監視カメラ

●6月24日(木)  晴れ

 ▼メモ
  ・高取山がくっきりと見える。朝のさわやかな風が吹く。
   梅雨とも思えないほど、サラッとした空気。
  ・朝のスイカは、熊本産から鳥取産に変わったが、やはり
   水っぽい。雨のせいではあるが・・。
  ・昨日、「歩く」とタイトルだけ書いて、まだつけていない「日記」。
   きょうも、ゆっくり「歩きながら思う」時間、「生きている」ことを
   実感する。
  ・帰ると、選挙管理委員会から「選挙の案内」が届いていた。



 ▼火曜日に、エントランスのメールボックス室と立体駐車場に「監視カメラ」を
  設置する工事をした。
  ピンク・チラシなどの無断ポスティング防止と、立体駐車場の安全確保のためだ。
  
  通常、この手のカメラは「監視カメラ」と言わず「防犯カメラ」と言うのであるが、
  これは「監視」という言葉が嫌われるので、「防犯」と言い替えたものである。

  たとえ言い替えても、カメラの機能そのものに違いがあるわけでなく、
  カメラは自分の視角範囲を24時間休みなく、ずっと撮影続け磁気ディスクに
  記録・保存していく。言い替えは、監視は「手段」であり、「目的」は
  防犯にあると主張しているようでもある。

  
 ▼最近は、「プライバシィ」や「個人情報」の保護が叫ばれ、「目的」は
  「手段」を正当化するかどうかは別として、「防犯カメラ」はあちこちに
  設置されている。

  「管理社会」などという言葉が登場してから、すでに久しい。

  私たちは「監視カメラ」に「見守られる」ような社会の中で生きている。
  では、「監視カメラ」のなかった時代はどうなんだろう。

    ・・・

  かつて「お天道さんが見ている」という言葉が生きていた時代、
  人は、天地神明に誓って身の潔白を証明しようとした。

  神仏や自然は、24時間休みなく人間を見ていた。



 ▼ところで、まえに『恥ずかしい』という「日記」を何回か連続で書いた。

  「プライバシイ」や「個人情報」の問題は、この「恥ずかしい」部分を
  他人が見続け、勝手に利用して私に不利益をもたらし、「基本的人権」さえ
  侵害している、と思うからである。

 
  神も仏もない時代は、
  人は自分で「基本的人権」を守る必要がある。
  これは骨の折れる仕事である。


    ・・・


  「摂取不捨」という言葉があるが、この「恥ずかしい」部分を含めて、
  ずっと見守り、かつ捨てないという阿弥陀仏の願い、そんなものがとある
  という観念は、どこかこかで静かな安心感も生んでくれる。



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