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2006年05月26日19:48

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●身辺雑記(57)/■「整理・整頓」

■「整理・整頓」

 ●妻は、さっき帰ってきて、また
  あわてて出かけた。

  舞子ビラでシャンソンの発表会があって、
  そのときの衣装をいったん、家に持って帰り、
  再び、二次会に出かけたのだ。

   「ちゃんと食べてるかネ?
    おぉ、食ってるじゃないか!

    それじゃ、ちょっと行ってくるワ!」

  友達の車が外で待っているので、用件を済ませると
  妻は、そそくさと出て行った。


   「帰りは、9時ごろになると思うけど
    もし、遅くなるようだったら、
    途中で抜けて、帰ってくるから・・」



 ●きのうも早く寝た。そしたら、おとといと
  同じように、夜の明ける前に目が覚めた。

  それで、新設コミに「キャサリン」さんのことなど
  書いて、再び寝た。


  きょうは、我が家は朝から忙しかった。

  博多から長男が、出張で大阪に出向くので
  今晩(26日)は我が家に泊まる、という
  そんな電話が三四日前にかかってきた。

  いつもは、夫婦二人だから、まぁ適当に暮らしている。
  片付けや掃除だって、私がやらないから
  まぁ、適当になっている。


 ●私は三人の子供たちに、「しつけ」というのが
  できなかった。前にも書いたように、自分自身が悩んで
  頭をぶつけ、迷っているのに、子供たちに「価値観」みたいな
  ものを「しつける」ことができなかった。


  しかし、「整理・整頓」「片付け」だけは、やかましく
  言った。それは、私が私の父から「しつけ」られて、
  唯一、よかった、と思えるものだったから、私も
  「片付けなさい」と、よく子供を叱った。


  しかし、しつければ、すぐよく身につくか、といえば
  なかなか、そーは、いかない。


 ●三人の子供に同じように「しつけ」たが、長男は
  もともと性に合っていたのか、整理・整頓から、より
  進んで「シンプル・ライフ」の暮らしぶりで、不要なものは
  一切、買わないような大人になった。

   (私とは、大違いだ!!)



  次男は、しつけた当時の子供の頃は、本は破るは
  おもちゃは壊すは、整理・整頓どころか、
  破壊を旨とするような子だった。
  しかし、成長すると、顔が私とどことなく似てきて
  家では、片付けるようになったと、次男の嫁さんから
  聞く。


  娘のところは、子供が三人いて、一番上は中学二年で
  片付けようとしても、道具が多くて、狭い家は片付かない。
  それでも、一生懸命、片付けているようだ。



 ●で、親の我が家であるが、私が、いまはもう
  ほとんど片付けない。
  退職してから、捨てるものは捨てて、と思いつつ
  少しもはかどっていない。

  根に、どーでもいい、と思うところがあって、なかなか
  整理・整頓をしない。



 ●長男は帰省し、我が家にくると、ぐるっと家の中を見渡す。
  狭い家だから、見渡すほどのことはないけれど、何か
  変化はないかと、部屋の中をぐるっと見る。


  別に、長男は家の中をチェックしているわけではないし
  たとえ片付いていなくとも、それで何かを言うわけではないが、
  妻は、長男が帰ってくるとなると、大慌てになる。

  長男は独身で、ひとりだから、来たって別にどーって
  わけないと思うが、妻は、急いで大掃除する。



 (ああ、いま、長男から電話。三宮から・・)
 (晩飯を、下のりファーレ妙法寺で、長男と食べてきます)
 (また、あとで・・・)


 ●いま、リファーレ妙法寺(居酒屋)から、妻とも合流し、
  帰ってきた。

   
  話が中断したが、「整理・整頓」のこと。
  
  いま、振り返ってみると「整理・整頓」は、私にとっては
  役立ち、いまでこそ、「整理・整頓」はしなけれども
  仕事や生活や考えることをする上で、「整理・整頓」は私の
  「基礎学力」というか、私を支えるための「基礎教養」というか
  大きな力を発揮したように思う。


  それは、効果があるという意味では、私にとって「価値」ある
  ものだった。しかし、それはある「価値観」というものでは
  ないような気がしている。

  もし、「整理・整頓」ということが、ある固定され具体的な
  「価値観」であれば、私は子供たちに、あれほどしつこく
  いわなかっただろう。

  「価値観」をも作り出すような、もっと基礎的な力として
  「整理・整頓」のことを捉えていたのだと思う。



 ●もちろん、「整理・整頓」をあんなにやかましく言わなくても
  「整理・整頓」する子は「整理・整頓」するようになり、
  しない子は、しない、という話なのかもしれない。


  そして、「整理・整頓」が唯一のものであるはずはなく、
  ほかの何か、でもよかったはずだ。


 ●長男が帰ってくることで、そんなことを私は考え、
  また、ひさしぶりに私を訪れてくれた「キャサリン」さんの
  ことを思い出し、それに関係する「」(カギかっこ)のことを
  書いた。



 
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