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2009年11月22日23:13

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アンドレア・モライヨーリ 映画『湖のほとりで』

11/21(土)シネマe-raで観る。

大変質のいい映画である。
人間の関係の微妙さ、その心理の不可思議、そしてそれを取り囲むイタリアの小村と自然が、しっとりと心に残る。
原作小説はノルウェーが舞台だが、その場所を移し替えた監督の手腕にまずは拍手を送りたい。
結果、2007年、イタリアのアカデミー賞に当たるドナテッロ賞において10の賞を獲得した。
観ておられない方には、是非ご覧になる事をお奨めしたい。

しかし、描き切れていない部分が僅かにあって、そこが詰められておれば、と、とても残念な気持ちになった。
私のその思いについて少しだけ書いてみたい。

湖のほとりでひとつの殺人事件がおこり、それが水紋のように、回りにいる人間達とその心理に及んでいく。初老の刑事の捜査活動は、その水紋を追い駆けていく作業のように見える。
被害者の若い女性。誰にも言わなかった秘密。
捜査に抵抗する彼女の恋人。しかし、彼女の思いは違う人物に向けられていた。
父親の偏愛と、血の繋がらない姉。
彼女がベビーシッターを務めた子供の死と、その両親の葛藤。
村人の彼女への様々な視線。
そして、水紋は、刑事自らと家族をも巻き込まずにいない。妻は進行型の若年性痴呆症。娘にその真実を伝えられない刑事。ぎくしゃくする父娘。

人と人は何かしら影響し合い、ひとつの言葉や行為、それに悪意はなくとも、深く傷付け合う事もある。
殺人事件でありながら、美しい死体から推理されるのは、殺される事を受け入れたかのような被害者の心理である。刑事はその不思議に迫ろうとする。

どうやら水紋の最も中心近くにあるのは、ベビーシッターを務めながら死なせてしまった子供の事件のようだ。
子供は生まれつき心に障害を負っていた。
この子について、映画は、のち離婚に到った両親含め、回りの人達の会話の中だけで表現している。
この子供をどう表わすか、それは、監督の最も悩んだところだろうと思う。
手法はともかく、この子のイメージを確たるものにしなければ、両親の日々の苦しみも、そしてベビーシッターだった被害者の思いも、観客は、しかと掴み切れない。
恐らく原作小説は、この辺りのイメージ喚起の為に、多くの文字と行を費やしている筈だ。

この映画の所要時間は95分である。
どういう手立てがあるか、それをここで言う事はできないが、この水紋の芯に当たる事柄について、もう少し映画は時間をかけてよかったと思う。
このイメージの輪郭の甘さが払われ確実なものになった時、子供の両親の葛藤も、ベビーシッターの心理の切迫も、彼女の歪な人間関係も、観客はもっと理解を深め、それは、ひいては彼女の殺される事をよしとするに到った不可思議な心情への理解にも繋がった筈だ。
ここが少し残念ではある。

刑事の妻は、今や、彼を夫でなくその兄弟と思っている。
娘の名を言っても、誰の事か判らない。
が、刑事は娘に全てを話し、彼女を連れて病院を訪れる。
病院の庭を散歩する母に、娘は意を決したように微笑みかける。
母親は、彼女の顔を見て微笑み返し、そして通り過ぎる。
病の妻の夫として、娘の父として、彼の愛はどんな愛たり得るか。
娘として、病の母に、そして父に、彼女の愛はどんな愛たり得るか。
愛の形はひとつではない。愛はいろんな形をもって存在し得る。
答えのないラストシーンだが、2人の笑みに救いはある。


監督 アンドレア・モライヨーリ
原作 カリン・フォッスム(ノルウェイ)
脚本 サンドロ・ペラトーリア
撮影監督 ラミロ・チヴィタ
出演 トニ・セルヴィッロ,アンナ・ボナイウート,ファブリッツィオ・ジフーニ,ヴァレリア・ゴリーノ,オメロ・アントヌッティ、他

受賞 ヴェネチア国際映画祭批評家週間ISVEMA賞,パシネッティ賞、ドナテッロ賞作品賞,監督賞,脚本賞,撮影賞,男優賞他10部門

2007年イタリア映画
 
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