mixiユーザー(id:6354345)

2021年02月13日06:41

105 view

風林火山伝 第14話 岩村女城主

時は少しさかのぼり、武田軍は武田信玄率いる本隊と秋山信友率いる別動隊の二手に分け、
上洛作戦を転じていたのだった。武田軍本隊が元亀3年(1572年)10月 甲府 躑躅ヶ崎の館を約3万の兵を率いて、上洛に向けて出陣したそのころ、伊那の高遠城主であった信友は伊那衆4千の兵を率いて、駒場から西南に進み、権兵峠を越え木曽川沿いに沿って東美濃に進軍していた。

秋山信友は、東美濃に入り、岩村城に攻め入ったのであった。岩村城は、遠山景任が守っていたが、元亀3年(1572年)5月に病で死去し、織田信長の5男が養子に入り、遠山勝長が守っていた。なんと勝長は3歳の幼少で、実際には、景任の正室 おつやが実質 岩村城を守っていた。おつやは信長の叔母であったが、歳は29歳と信長より若く、かなりの美人であった。

信友は、亡き景遠の未亡人 おつやがかなりの美人であることはかねてより噂で知っており、おつやを我がものにするため、岩村城城主 勝長とおつや、岩村城内の兵士、女子たちの命を助けるのと引き換えに、岩村城を無傷で手に入れたのであった。そして旧城主 勝長は人質として送られた

信友は岩村城に入城し、おつやに面会した。噂通りの美人であり、信友はおつやに一目ぼれし、おつやをすぐに側室にしたのだった。信友は、岩村城を落した後は、中山道を進み、多治見を経て、岐阜の織田信長の本拠地を威圧する役目を任されていた。しかし側室 おつやのとりこになり、その役目を忘れ、おつやと幸せにしばらく暮らしていたのだった。

そんなある日、信玄より、信友に早急に信長の本拠地 岐阜城を目指し、出陣するように催促の書状が届いたのだった。武田軍本隊は羽柴秀吉を討ち負かし、大高城まで進んでおり、信長との総決戦を近々行い、信長を討ち取るとのことであった。信友の懸念は、おつやは若いながらも信長の叔母であり、信長を討つことは、おつやを仇にすることになり気が進まなかったが、信玄の命令としては逆らうことはできず、苦渋の決断であった。

おつやは、夫 信友より信玄よりの岐阜総攻撃の知らせを耳にした。実は、おつやは、信友の側室になったものの、信長と密かに通じており、信友がさらに美濃を侵攻する場合は、信長より、信友を暗殺するように命じられていたのだった。そして、信友の岐阜城総攻撃が迫っていたある日、おつやは、寝床の布団の下に短剣をかくし、信友の寝首をかく準備をしていたのだった。

岐阜城 総攻撃の前夜 信友とおつやはいつも通り、寝床をともにした。信友はしばらくの間 おつやに会えないことをさびしく思った。一方、おつやは信友に抱かれつつも、密かに信友の寝首をかく機会を伺っていた。そして、信友がおつやを激しく抱きしめたとき、おつやは密かに寝床の布団の下に隠してあった短剣をそっとつかみ、信友の背中に短剣を徐々に突き刺していった。そして信友の背中からは血が滲みでた。

それに対して、信友はおつやに対し、お主のことをいとおしく思っている。お主に命を奪われるなら本望である。我の命を奪うがいいと言い、抵抗はしなかった。おつやの短剣が信友の背中を約5ミリぐらい突き刺したところで、おつやの手が止まった。しばらくして、おつやはゆっくりと信友の背中から短剣を抜き泣きだし、甥 織田信長の密約である信友 暗殺を断念したのだった。おつやはこの時、信友を深く想う気持ちを悟ったのであった。これを機会に信友とおつやの絆はさらに深まっていった。
                                 つづく

2 4

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2021年02月>
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28