●2012年12月16日 未明（02:53）
▼明日というか、今日というべきか、
休みなので、もう少し書いてみようと思う。
▼私にとって、問題は、「生命を売物にしたるは卑し」という子規の言葉である。
明治３４年１０月１５日、子規は、この年の９月に刊行された『一年有半』を
まだ、読んでいなかった。しかし、『一年有半』の評判は知っていた。
十月十五日 一昨夜寝られざりし故昨夜はよいのほどより眠り申し候
起きては眠り起きては眠りとうとう夜明け候えばただちに
便通あり 心地くるしく松山伯父へ向け手紙一通したため申し候
・・・・・・
と、日記を書きはじめた。
▼松山伯父とは、母方の伯父、大原恒徳のことか。
『仰臥漫録』の１０月１５日の記録はこのような書き出しで、候文で書いてある。
天下の人余り長く優長に構え居候わば後悔いたすべく候
天下の人あまり気短く取りいそぎ候わば大事出来申すまじく候
われらも余り取りいそぎ候ため病気にもなり不具にもなり
思う事の百分一も出来申さず候
（中略）
われらも死に近き候今日に至りようよう悟りかけ申し候よう覚え候
痩我慢の気なしに門番関守夜廻りにても相つとめ申すべく候と存じ候
ただ時々の御慈悲には主人の残肴きたなきはかまわず肉多くうまそうな
処をたまわりたく候 食気ばかりはどこまでも増長いたすべく候
兆民居士の『一年有半』という書物世に出候よし新聞の評にて材料も
大方分かり申し候 居士は咽喉に穴一ツあき候由われらは腹背中臀とも
いわず蜂の巣の如く穴あき申し候
・・（後略）・・
このあと、先に引用した１０月１５日の『仰臥漫録』の文章へと、続くのである。
▼そして１０月１５日の日記は、この引用文に続けて、子規はさらに次のように、
自分の死んだあとのことについて書いている。
われらなくなり候とも葬式の広告など無用に候
家も町も狭き故二、三十人もつめかけ候わば柩の動きもとれまじく候
何派の葬式をなすとも柩の前にて弔辞伝記の類読み上げ候こと無用に候
戒名というもの用い候事無用に候 かつて故人の年表など作り候時
狭き紙面にいろいろ書き並べ候あたり戒名というもの長たらしくて書込に
困り申し候 戒名などはなくものがなと存じ候
ユーモアでもあろうが、子規は自分の年表が作られることは確信していて
それで、戒名の心配もしている。
このあと、日記は墓石について書く。
自然石の石碑はいやな事に候
柩の前にて通夜すること無用に候
通夜するとも代わりあいていたすべく候
柩の前にて空涙は無用に候
談笑平生の如くあるべく候
▼『一年有半』が子規の手元に届いたのは、１０月１７日のことである。
十月十七日 雨 朝鼠骨来る 鉱毒地より帰れるなり
・・(中略)・・
虚子病気にて来られず 使いをよこして山会へ
ぶどう、余へ雲丹と『一年有半』を贈り来る
十月十八日 雨 昨夜睡り得て今朝平穏なり
終日無客、新聞などあらまし見る
夜『一年有半』を見る
▼そして、１０月２５日、子規は『一年有半』を読み終えたのかもしれない。
その日の日記に、つぎのように書いた。
『一年有半』は浅薄なことを書き並べたり、死に瀕したる人の著なればとて
新聞にてほめちぎりしため忽ち際物として流行し六版七版に及ぶ
近頃『二六新報』へ自殺せんとする由投書せし人あり その人分かりて
忽ち世の評判となり自殺せずにすむのみか金三百円ほど品物若干を得かつ
烟草店まで出してやろうという人さえ出来たり 『一年有半』と好一対
余も最早飯が食える間の長からざるを思い今のうちにうまい物でも
食いたいという野心頻りに起りしかど突飛な御馳走(例、料理屋の料理を
取りよせて食うが如き)は内の者にも命じかぬる次第故月々の小使銭にわかに
ほしくなり種々考えを凝らししも書物を売るより外に道なくさりとて売るほどの
書物もなし洋紙本やら端本やら売ってみたところで書生の頃べたべたと捺した
獺祭書屋蔵書印を誰かに見らるるも恥かきなり とさまこうさま考えた末
ついに虚子より二十円借りることとなり已に現金十一円請取りたり これは
借銭と申しても返すあてもなく死後誰か返してくれるだろー位のことなり
誰も返さざるときは家具家財書籍何にても我が内にあるもの持ち行かれて
苦情なきものなりとの証文でも書いておくべし
右の如く死に瀕して余も二十円を得たるを思えば『一年有半』や烟草屋を
儲け出したたる投書家ほどの手際には行かざりしも余にしてはまずは上出来の
方なり しかしいずれも生命を売物にしたるは卑し』
▼戯作文のように綴られたこの文章は、誰に向けて書いているのであろう。
また、「いずれも」とは、兆民と烟草屋を儲けた人か。
また、『一年有半』が「生命を売物にしたるは卑し」とは、
「売文」することか。生前に「売文」することか。たはまた『一年有半』が
女々しいことを書き連ねているからか。
『仰臥漫録』を書いた子規は、どこに立っているのだろうか。
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