■二重言語「日本語」
・日本に漢字が渡ってきたのは、今から2000年くらい前の
ことらしい。しかし、最初は実用の目的ではなく、一種の装飾・
デザインとして用いられた。それは、あたかも欧米人が漢字や
平仮名をファッションとして用いるのと同じ感覚である。
また、ヤマト民族の「言霊(ことだま)信仰」が漢字の使用を
拒んだことが、この本「漢文の素養」には書かれている。
「写真を撮ると魂が抜かれる」のと同じように、「文字に
書くと、書いたものが奪われる」かのように古代ヤマトの人々は
考えたふしがある。エジプトのクフ王のピラミッド、秦の始皇帝陵、
とともに「世界三大陵墓」といわれる仁徳天皇陵(大山古墳)からは、
漢字が刻まれた鏡は出土しても、「墓碑銘」はない。
・遅くとも紀元前1世紀ごろには、漢字に接していたヤマト民族が
これを本格的に使い始めたのは、6世紀になつてからである。
すでに高度に完成していた漢語は、やまと言葉(和語)にない
抽象概念を表す「ことば」として、そのまま漢語が「日本語」
として用いられた。また、やまと言葉にも漢字が当てられ、
これを「やまと読み」する「訓」ができた。さらに、音を表す
「万葉仮名」さえできた。また、漢文の文字の間に助詞を書き加え
日本式読み下し漢文用に「片仮名」も派生した。
・これらのことは、やまと言葉にとって幸福なことだったか、それとも
不幸なできごとだったのか。
そう筆者は問いかけ、世界にも不思議な「音訓」二重読みや
日本式漢文「漢文訓読法」の発明などが、日本語と日本人の
教養にどのような影響を与えたかを考えていく。
(つづく)
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