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2006年02月26日00:24

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●寄り道ついで (61)/■「教養」と「漢字」 (2)

■二重言語「日本語」

 ・日本に漢字が渡ってきたのは、今から2000年くらい前の
  ことらしい。しかし、最初は実用の目的ではなく、一種の装飾・
  デザインとして用いられた。それは、あたかも欧米人が漢字や
  平仮名をファッションとして用いるのと同じ感覚である。


  また、ヤマト民族の「言霊(ことだま)信仰」が漢字の使用を
  拒んだことが、この本「漢文の素養」には書かれている。
  「写真を撮ると魂が抜かれる」のと同じように、「文字に
  書くと、書いたものが奪われる」かのように古代ヤマトの人々は
  考えたふしがある。エジプトのクフ王のピラミッド、秦の始皇帝陵、
  とともに「世界三大陵墓」といわれる仁徳天皇陵(大山古墳)からは、
  漢字が刻まれた鏡は出土しても、「墓碑銘」はない。



 ・遅くとも紀元前1世紀ごろには、漢字に接していたヤマト民族が
  これを本格的に使い始めたのは、6世紀になつてからである。

  すでに高度に完成していた漢語は、やまと言葉(和語)にない
  抽象概念を表す「ことば」として、そのまま漢語が「日本語」
  として用いられた。また、やまと言葉にも漢字が当てられ、
  これを「やまと読み」する「訓」ができた。さらに、音を表す
  「万葉仮名」さえできた。また、漢文の文字の間に助詞を書き加え
  日本式読み下し漢文用に「片仮名」も派生した。



 ・これらのことは、やまと言葉にとって幸福なことだったか、それとも
  不幸なできごとだったのか。


  そう筆者は問いかけ、世界にも不思議な「音訓」二重読みや
  日本式漢文「漢文訓読法」の発明などが、日本語と日本人の
  教養にどのような影響を与えたかを考えていく。

   (つづく)


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