■ちどり しまやま
・小学校のころ、二つの歌を習った。
ひとつは、
千鳥 島山 うるわしく
瀬戸の潮じお 真帆片帆
行く手は 遠き雁子崎
黒煙 空にたなびきて
・・・・
これは、弱起の曲で一拍目が弱く始まる4/4拍子。
「ちぃ・どぉ〜り・しぃまぁ〜やま・うる〜わぁしぃく〜」
と、歌う。
もうひとつは、出だしがわからないが、こんな歌詞だ。
・・・・
ここぞ 平和の わが村ぞ
小鳥の歌を 夢と聴く
いしずえ かたき 津井の里
こちらは、二拍子で歯切れよく「ザック・ザック、ザック・ザック」と
軍靴で兵隊が行進するかのように歌った。
一つ目は津井小学校の「校歌」で、二つ目が津井村の「村歌」では
なかったか。もう、何十年も歌ったことがない遠い昔の歌だ。
・きのう、墓のことを書いたら、急に里ごころがついて、遠い昔の
歌を思い出した。
全部は覚えていないので、部分部分を思い出しながら、声にしてみる。
50年の歳月を跳び越えて、一挙に、当時の木造校舎の
たたずまいや、二宮金次郎と足利尊氏かの銅像のある校門や、
廊下・教室の風景などが目の前にひろがってくる。
そして、まだまだ背丈の低い、ちっちゃなかわいい小学生の私が
そこに立っている。
・私は、小学2年生の夏休みに、急行「銀河」という夜行列車に
乗って、ひとり淡路の田舎に帰省した。急行「銀河」は東京−神戸を
ちょうど12時間かけて走っていた。明石からは播但汽船の
小さな蒸気船で西浦周りで、湊まで行った。
ちいさな子供が「ひとり旅」をしているということで、道中、
いっしょになった同乗客がみな、可愛がってくれた。
・以来、夏休みといえば、私は淡路島に帰省した。中学一年のときは
宮崎から小学1年の妹とふたりで帰った。淡路で採取した
アンモナイトの化石を夏休みの宿題で提出したら、新聞社主催の
コンクールで賞に選ばれた。その化石は、いまも宮崎の中学校の
理科教室にあるはずだ。
・結婚し子供ができ、三人の子供が小学生の間、夏休みには
よく子供を連れ淡路に帰った。
カブトムシを捕ったり、池で魚釣りをしたり、海で泳いだりした。
そして、三人の孫たちも、私の子供たちにしたように、夏休み、
あるいは春休みに、淡路に連れて行く。
連れて行っては、私が子供の頃した虫取り・魚釣り・海水浴と
それに墓参り行く。
春には桜の花の中、お宮さんにダンジリが出る。
緋の布団を四、五段重ねて、それに白の二本のたすきを掛けた
淡路の「ふとんダンジリ」が私は好きだ。
・淡路に行くと、私はいつでも、はるか遠いむかしに帰っていくことが
できる。
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