mixiユーザー(id:1040600)

2006年02月23日19:06

98 view

●寄り道ついで (58)/■里ごころ

■ちどり しまやま

 ・小学校のころ、二つの歌を習った。

  ひとつは、

     千鳥 島山 うるわしく
     瀬戸の潮じお 真帆片帆
     行く手は 遠き雁子崎
     黒煙 空にたなびきて

       ・・・・

  これは、弱起の曲で一拍目が弱く始まる4/4拍子。
  「ちぃ・どぉ〜り・しぃまぁ〜やま・うる〜わぁしぃく〜」
  と、歌う。


  もうひとつは、出だしがわからないが、こんな歌詞だ。

       ・・・・

     ここぞ 平和の わが村ぞ
     小鳥の歌を 夢と聴く
     いしずえ かたき 津井の里

  こちらは、二拍子で歯切れよく「ザック・ザック、ザック・ザック」と
  軍靴で兵隊が行進するかのように歌った。

  一つ目は津井小学校の「校歌」で、二つ目が津井村の「村歌」では
  なかったか。もう、何十年も歌ったことがない遠い昔の歌だ。



 ・きのう、墓のことを書いたら、急に里ごころがついて、遠い昔の
  歌を思い出した。
  全部は覚えていないので、部分部分を思い出しながら、声にしてみる。


  50年の歳月を跳び越えて、一挙に、当時の木造校舎の
  たたずまいや、二宮金次郎と足利尊氏かの銅像のある校門や、
  廊下・教室の風景などが目の前にひろがってくる。

  そして、まだまだ背丈の低い、ちっちゃなかわいい小学生の私が
  そこに立っている。




 ・私は、小学2年生の夏休みに、急行「銀河」という夜行列車に
  乗って、ひとり淡路の田舎に帰省した。急行「銀河」は東京−神戸を
  ちょうど12時間かけて走っていた。明石からは播但汽船の
  小さな蒸気船で西浦周りで、湊まで行った。

  ちいさな子供が「ひとり旅」をしているということで、道中、
  いっしょになった同乗客がみな、可愛がってくれた。



 ・以来、夏休みといえば、私は淡路島に帰省した。中学一年のときは
  宮崎から小学1年の妹とふたりで帰った。淡路で採取した
  アンモナイトの化石を夏休みの宿題で提出したら、新聞社主催の
  コンクールで賞に選ばれた。その化石は、いまも宮崎の中学校の
  理科教室にあるはずだ。




 ・結婚し子供ができ、三人の子供が小学生の間、夏休みには
  よく子供を連れ淡路に帰った。
  カブトムシを捕ったり、池で魚釣りをしたり、海で泳いだりした。


  そして、三人の孫たちも、私の子供たちにしたように、夏休み、
  あるいは春休みに、淡路に連れて行く。

  連れて行っては、私が子供の頃した虫取り・魚釣り・海水浴と
  それに墓参り行く。


  春には桜の花の中、お宮さんにダンジリが出る。
  緋の布団を四、五段重ねて、それに白の二本のたすきを掛けた
  淡路の「ふとんダンジリ」が私は好きだ。



 ・淡路に行くと、私はいつでも、はるか遠いむかしに帰っていくことが
  できる。


■案内
 ・日記「総目次」 −テーマ別−
 ・「Home」&「更新記録」

0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する