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2012年12月09日19:31

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■兆民と子規(2) 正岡子規『仰臥漫録』 早坂暁

●2012年12月09日(日) 晴れ、日落ちて更に寒し

 ▼引用の続きである。

  ◇正岡子規『仰臥漫録』 早坂暁(中)
   ■35歳で究極の魂の記録 “眼からウロコ”の叙述
   
    正岡子規さんの病床日記『仰臥漫録(ぎょうがまんろく)』ほど、
    私の眼から見事にウロコを剥ぎとってくれた本はない。

    “ウロコ”とは何か。
    私と同じ余命1年半と宣告された癌患者・中江兆民さんが書いた
    覚悟の書『一年有半』『続一年有半』である。

    私は『一年有半』を杖がわりにして、わが“死”に対決し、
    突破しようとする算段だったが、郷里の大先輩である子規さんによって
    斬って捨てられた。

    子規さんの病は脊椎カリエス。
    その『仰臥漫録』に、こう書く。

    「『一年有半』は浅薄なことを書き並べたり、死に瀕したる人の
     著なればとて新聞にてほめちぎりしため忽(たちま)ち際物(きわもの)
     として流行し六版七版に及ぶ」

    さらに子規さんは言う。
    「生命を売物にしたるは卑し」と。
    木端微塵なんだ。
    「(兆民)居士は咽喉に穴一ツあき候由、われらは腹、背中、臀(しり)とも
     いはず蜂の巣の如く穴あき申候 一年有半の期限も大概は似より候」として、
    子規さんは「居士は理は分かるが美は分からない」と書く。
    つまり自然や文化の美に感動する力がないというのだ。

    子規さんは、この時35歳。
    日録は、まるで人体解剖のように、食事、治療、排泄から始まり、
    弟子たちとの対話、笑い、怒声、悲鳴、号泣が飛び交い、
    その間を草花のスケッチと、花におとらぬ俳句があふれるという
    究極の魂の記録である。

    死の床にある人、この書で眼からウロコを落とし、活力をもらうといい。
    で、日本の画家にお願いがある。
    お釈迦さまの涅槃図ならぬ子規さんの臨終図を、
    ぜひ描いてほしい。

    釈迦さんのように大勢の弟子に囲まれ、俳句の花や草花に飾られ、
    神の手を持つ妹に手を清められ、母の悲しい涙で“少年”として死んでいった
    子規さんの涅槃図は、きっとお釈迦さまのソレにも負けないだろう。
    こんな日録は稀有である。(作家)
     [asahi.com たいせつな本・掲載2009年3月22日]

 ▼そうだ、この文章で私は兆民と子規を読んでみようと思ったのである。



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