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2006年05月23日11:01

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●連歌「起承転結」(05)/■続・中島義道

■続・中島義道


 ** ■中島義道/「秋夜」さんへの手紙 **
  

 
●「秋夜」さん

 こんにちは。
 コメントありがとうございます。

 またもや、長いコメント(しかも、補足まで)をいただいて
 感謝です。
 これで、「narato」さん、2点目ゲット大当たり!!!
 (笑)

 ですから、
 「秋夜」さんからいただいたコメントに対して、
 さらに、これについて私がコメントする必要は
 もう、ないのですが、
 いただいたコメントへの「お礼」みたいなものは
 書いておかないと、いけないかナーと思って
 お便りしています。


●私は、「夜回り先生」の水谷修さんの「本」を、実は
 一冊も読んでいません。
 本屋で平台に積み上げられた、水谷さんの「夜回り先生」を
 パラパラ立ち読みした程度です。

 ですから、中島さんの「夜回り先生」批判が正確で適切な
 ものなのか、私もよくわかりません。

 (それなのに、それについて書いている中島義道「本」
  「私の嫌いな10の人びと」を批判するなんて!!)

 私は、私の「中島義道」体験を通じて感じている「中島さん」の
 クセみたいなものについて、つまり、「違和感を感じる」
 中島さんの「感性」について、最近、私が感じ出した
 「違和感」を、ちょっと表明しておきたかったのです。

 というのは、けっこう「有名」になってきて、けっこう「読まれ」もし、
 中には、その中島さんの「感性」のファンという方もおられるので
 おっちょこちょいの私は、またしても、書き込みをした、という
 ことです。




●私は、中島さんの「哲学の教科書」というのが大好きです。
 副題には「思索のダンディズムを磨く」とあります。
 タイトルの殺し文句だけで「本」を衝動的に買ったりする
 ミーハーの私は、さっそく、この「本」を買い読んだわけです。

 そして、読めば読むほど(本当に、そんなに読んだか?、
 少し嘘アリ!)、まぁ読んだ限りでは、ますます好きになって
 それから「中島本」を買うようになりました。

 ・「哲学の教科書」/講談社 1995.8.11 第4刷

 ・「時間を哲学する 過去はどこへ行ったのか」/
   講談社現代新書 1996.5.17 第2刷

 ・「ウィーン愛憎 ヨーロッパ精神との格闘」/
   中央公論社 、1990年1月発行
  (行方不明、どこかにあると思う。買ったのはこの頃。
   もっとしっかり読むべきだった)

 ・「人生を〈半分〉降りる 哲学的生き方のすすめ」/
   ナカニシヤ出版 1997年5月発行
  (これも、棚の奥か。行方不明)

 ・「孤独について 生きるのが困難な人々へ」/
   文春新書 1998.10.20 第1刷

 ・「哲学実技のすすめ そして誰もいなくなった…」/
   角川書店 2000.12.01 初版

 ・「働くことがイヤな人のための本」/日本経済新聞社
   2001.03.05 第2刷

 ・「生きにくい… 私は哲学病」/角川書店 2001年7月発行

 ・「不幸論」/PHP研究所 2002年10月

  探せば、読まずにパラパラめくって、それで満足して
  どこかで、眠っている「本」があるかもしれません。

   (それにしても、途中から「中島本」は、「斎藤本」
    「養老本」に負けないくらいの勢いだ)

 でも、「中島本」がよく売れるようになってきて、私は
 少し、「中島本」に違和感を持つようになりました。

 そして、いまでも、ある部分は「まったく、そのとおり」と
 合点して読み、ある部分は「ちょっと、おかしいんじゃないの」
 と思って読みます。




●「中島本」には、書かれている対象から分類すると、いくつかの
 系統があるように思います。

 よく調べたことはないし、私のカンというか、私の分類では
 次のようになります。

 
  1・哲学の対象そのものを論じたもの(時間、死、真・善・美)
  2・哲学するとはどういうことか(無用塾、働くことがイヤ)
  3・社会現象への哲学者としてのコメント(騒音、景観)


 必ずしも、これらが截然と区別できるわけではありませんが、
 一応、こう区分すると問題が見えやすくなると思うので
 こう分類しました。


 大切なことですが、なぜ截然と区別できないかというと、
 それは「哲学」するのは「生身の人間」であり、その「生身の
 人間」を包含しないことには、「哲学」そのものが成立しない
 からです。




●1の領域の、次の二冊などは、良書だと思います。


 「哲学の教科書」は、「本」のデザインから、まさに
 ダンディズム。第1章「死を忘れるな!(Memento Mori!)」は
 「1.最大の哲学問題は<死>である」から始まります。
  (カッコーいいですねー。しびれます!)


 
 「時間を哲学する 過去はどこへ行ったのか」。
 中島さんの先生の大森荘蔵さんの「時は流れず」と同じぐらい
 かっこいいタイトルではありませんか。「名は体をあらわす」の
 見本のようです。

 しかも、この「時間を哲学する」は平易に書かれているが
 実に内容が奥深く、しかも、文学的ですらあります。
 中国の古典、「邯鄲(かんたん)の夢」や「荘子胡蝶」を引用して、
 哲学の「時間」と老荘の思想の「時間」を対比するなど、
 私は感心してしまいました。




●私が「違和感」を感じはじめるのは、2〜3に差しかかる
 領域です。



 2の領域は、もともとが1と3との中間領域であり、実生活と
 哲学の接点でもあります。

 (ということは、厳しい「しのぎあい」が展開されるということです)
 (ハラハラ、ドキドキ、「哲学好き」だったら、たまらない場面です)




●そして、私が批判したのは、実は、この2の領域の
 中島さんの「塾生」への態度のことです。


  「現実」をそんな「低位」で超えてもらっては困る

 実は、ハードル自体は、そんなに「低位」でもないのです。
 逆に、超えるには、非常に「高い」ハードルだと思います。



       * * * * *




●とりあえず、中島さんの「本」から引用します。

   「無用塾」という哲学塾を開いているが、そこには自殺未遂
   経験者、恋人や親友の自殺から立ち直れない者、家族に対して
   殺意をもつ人等々、生き方のうまくない男女が集まっている。
   (生き方のかなりうまい人も混じっているが)。そして、
   こうした人々が数時間熱心に哲学論議を続けると、そこには
   不思議な癒しの空間が開かれるのだ。人生の妙味に触れる
   ときである。

   (「生きにくい」角川文庫 P.204)


 このように「無用塾」は、中島さんにとって「人生の妙味に触れる
 ときである」ような「場」です。




●もう少し、別のところから引用します。 

   私は他人に執着することが嫌いである。他人から執着される
   ことも大嫌いである。執着の典型的な形態は「愛」や「憎しみ」
   であるが、じつは私は――今やほとんどなくなったが――
   他人から恋愛感情あるいは親密感情を抱かれることも、
   他人に恋愛感情あるいは親密感情を抱くことも嫌いなのである。
   (中略)・・・こういう感情は、私を束縛し、私を支配し
   私の自由を奪う。

   (「孤独について」P.6)



   目下、私にやや頻繁に起こっているのは、私が書いたものの
   読者が、私という<人間>に異常な興味を見せることで、
   これは――物書きとして感謝すべきことなのかもしれないが――
   じつは、きわめてうっとうしい。(中略)私は、その誰にも
   会いたくないからである。私のほうではその読者という
   <人間>になんの興味も覚えないからである。
  
    (同P.7)



   このように、ごく少数であるが、私を慕っているような匂いを
   嗅ぐと、私は――当人には悪いのであるが――一目散に
   逃げ出したくなる。私は、こうした寂しい人、見ず知らずの
   私以外に誰も相談相手がいない人、小さなうめき声をあげて
   いる人に手をさしのべようとは思わない。自分にその人を
   「救う」能力がないことを、痛いほどよく知っているからだ。
    (同P.8)




   誤解しないでもらいたい。小さなうめき声をあげている人々が、
   私はむしろ好きである。彼らの不器用さが眩しい。彼らから
   逃げようとする自分は、彼らのうちにある鋭い嗅覚を恐れて
   いるのかもしれない。


   彼らは、ただひたすら人生に悩んでいる。だが、私は人生に
   悩みながら、それを商品にして切り売りしている。その不潔さ、
   要領のよさが自分に対しても腹立たしいが、やめることが
   できない。



   私は彼らに会うと、彼らの目をごまかすことができないような
   気がするのかもしれない。悩む者の目は鋭い。言葉なら
   彼らをごまかせよう。だが、彼らの目の前に私の体を晒すとき、
   ごまかしは通じないのかもしれない。
   だから、私は彼らに会いたくないのかもしれない。


   おわかりであろうか。
   こうして、次第に私は「人間嫌い」になってゆく。
   そして、これからが曲者であるが、それでいいと思っているのだ。
   それを徹底させようともくろんでいるのだ。
   それが、哲学に迷い込み、ものを書き、ここまで来てしまった
   人間が選べる唯一の人生なのだと居直っている。
   
   「孤独」とはこのことである。私は自分が孤独であるといつも
   思ってきた。そして、それが宝だとも思っている。

   私に全国から真摯な手紙をくれる読者たちも、孤独であると
   思っている。そして、それが宝だと思っている。同類だと思っている。

   だから、会いたくないのだし、だからしっかりしてもらいたい
   のだ。

   こうして、本書はこれまで全国から数々のメッセージを
   送ってくれた「孤独な」読者への返事である。
   彼ら一人一人に宛てて十分書けなかったことを、どうかして
   この機会に包括的にかつ詳細に書いてみたい。

    (同P.8-10)




●もはや、長すぎるぐらいに長いのですが、中島さんの「本」、
 「孤独につして」の序章「孤独に生きたい」は、「中島哲学」の
 キーワード、考え方のポイントが一通り、出揃っているような
 感じです。


 序章「孤独に生きたい」は、この後も、連綿と、それら一連の
 「孤独になる技術」や「死」「無」「絶望」「キルケゴール」
 「あれか これか」「孤独」「自分の時間」「自分固有の人生」
 「ニーチェ」「運命愛」「不条理」「傲慢」「普遍的な真理の嘘」
 などなど、巧みな文章で、比喩や対比やいろいろのレトリックを
 駆使して、幾重にも入り組んだ、それこそ「曲者」の、「小さなうめき」を
 あげている人にとってはたまらい「惹力」をもった「中島ワールド」を
 展開しています。


 そして、序章をしめくくるにあたって、こう書きます。


   私は高みから、一般的抽象的なお説教をしたいわけではない。
   いや、それだけは断じてしたくない。
   私は、それぞれの重たい人生を「導こう」とすることが、
   いかに傲慢か欺瞞的かということを知っている。
   こと「生き方」の問題に関して「普遍的な真理」を語ることが、
   いかに嘘臭いか、ということを骨の髄まで知っている。

   私にとって私の人生は大切なものであるけれど、あなたに
   とってそれは「無」に近いもの、せいぜい単なるヒントに
   すぎないことも知っている。

   だからこそ、私は私のぶざまな人生をいくぶん詳細に書いて
   みる勇気を得たのだ。

   それが、ほとんどの読者にとってなんの意味もないことを
   悟ったがゆえに、書いてみようと思い立ったのだ。

  



●そうして成ったのが、本書「孤独について」です。


   第一章 ずっと孤独だった
   第二章 孤独な人生
   第三章 孤独な青年時代
   第四章 孤独を選びとる
   第五章 孤独を楽しむ
   終章  孤独に死にたい

 
 私は、第一章から終章まで、そのすべてを読んでいません。
 序章、あとがき、第五章は、しっかり読みました。



●私は「中島」さんの臨床医でもないし、中島さんがいうように
 私の人生は私にとって大切だが、人間<中島義道>は、私の実人生に
 とって、袖振り合うこともなかろうと思うし、「考える」という
 ことでは、「中島哲学」の面白いところに、面白いと反応し、
 読んでおいたほうがいいと、思うところだけを読みました。



●感想を言えば、この人は、まさに「愛憎の人」だという感じ。
 感じてものを言ってはいけないのですが、私のとっては感じで
 そのように思います。

 このひとの「人生」の部分をぜんぜん読んでいないので、
 ただ、そう感じるだけです。

 また、私は何もそれ以上、知る必要もないし、それで十分
 だからです。




●ただ、ひとつ、心配なことがあります。

 中島さんは、私より一歳年下です。
 しかし、もし、私がいま大学の5回生で、それこそ、「無用塾」に
 飛び込んでくるような悩みを抱えた青年と、私は同じような
 状況にあったので、私なら、「無用塾」で、中島先生にどんな
 ことを質問し、先生はどんな回答をするのだろうかと、思ったからです。


 そして、5回生ではなく、もうすぐ61歳になる私の感じででは、
 
   「現実」をそんな「低位」で超えてもらっては困る

 と思ったので、そのように、おっちょこちょいの私は書き込んだの
 です。


 また、「夜回り先生」の水谷修さんが、どんな活動をしているか
 私は、よくは知りませんが、「夜回り先生」の水谷さんではなく、
 水谷さんが対象としている人たちは、「無用塾」に行ったりするの
 だろうか、中島先生は、それらの人々と、「無用塾」に来る人たちと、
 また「無用塾」そのものの関係を、どのように捉えているのか・・。

 そんなことを考えていて、
 「違和感」を感じたのかナー、と思ったのです。


 (ちょっと長かったなー)(笑)


 



 
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