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2008年01月08日01:26

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続きのお話2 第5章 後半

 鴨を射落として戻ったときには日が暮れかけていた。アラードは戸口の前にたたずむ少女の姿にぎくりとした。足が止まった。それを見た相手が滑るように近づいてきた。

 リーザだった。リアのはずなどなかった。だが黄昏の光も薄れゆく影の中もはや髪の色も定かではなく、酷似した顔形ばかりがやたらと目立った。アラードは息をのんだ。
 そんな彼を色あせたリーザの目が見つめた。思いつめたようなまなざしだった。やがて彼女は口を開いた。
「母さんはなにを話したの?」

 アラードが言葉を見つけられずにいると、リーザは続けた。
「あたしのことをなにか話したんじゃないの?」
 否定しようとした。だが、彼女の思いつめた顔は安易な言葉を許さなかった。
「母さんも時々そんなふうになるわ。あたりが暗かったり、急にあたしを見たりしたとき。街のことを見て以来」

「あなたたちまでなによ。あたしを見てびっくりしたような顔をするじゃない! まるで、まるで母さんみたいに……」
 いつしか涙声になりかけていた。
「こんなに心配しているのに、なぜみんなで隠すのよ。あたしがどうしたっていうの? 教えてよ! 知ってるんでしょう?」


「そなたの母はあまりにも恐ろしいものを見てしまわれた。その心の傷が化け物にそなたが襲われる悪夢を見せているのだ」
 リーザが振り返った。グロスが戸口に立っていた。
「いずれ日にちがたてば記憶も薄れよう。それまでしばらくかかるかもしれぬが、寄り添ってあげてはもらえぬか。それが一番の薬なのだから」
「アラード、早く鳥を渡してあげねば」

 グロスをしばし見たあと、リーザはまたアラードのほうに向き直った。だが宵闇の中、その表情はもうはっきりしなかった。

 やがて彼女はうつむき、ぎこちなく差し出されたアラードの手から鴨を受け取ると足早に家の中に姿を消した。アラードの傍にグロスが歩み寄り、戸口を振り返ってため息をついた。
「納得してはくれなかったか。なにしろ私たちは嘘も隠しごとも下手だそうだからなあ」



 夕餉の支度はリーザの仕事だった。アラードの持ち帰った鴨は簡素ながらも香り高い料理に姿を変えて出された。
 だがアラードは食事にほとんど手が付けられなかった。夕餉の支度をするリーザの姿にローザが語ったリアの姿がいやでも対比された。まるでリアがなにを奪われたのかを見せつけられる思いだった。
 リアを牙にかけたのは確かにラルダの仕業だった。だが死にかけたリアに血を与え、人の心のまま吸血鬼などに転化させたのは自分に他ならなかった。リーザのような人としての生き方を永遠に失わしめたのはラルダだったが、一歩誤れば狂気に堕ちるしかないぎりぎりの縁に在り続ける身とさせたのは自分だった。

 アルデガンで別れたときのリアはまだ人を殺める前だったが、いまや己の所業にどれだけ苦しんでいるのか。そんな苦しみの中でさえせめて自分の犠牲になる者を一人でも少く抑えよう、自分と同じような境遇の者は決して出さないようにしようともがいているのに違いなかった。吸血鬼の血への渇きは人間を転化の呪いに落とすためにこそあるものなのに、彼女は人としての心ゆえに吸血鬼の理それ自体にひたすら抗い続けているのだとアラードは悟った。
 呪いの連鎖を自分のところで断ち切ろうとする意志ゆえの行為だった。だがそれは、狂気による忘我も許されぬ戦いを、片時の安息もなく続けることだった。アラードは自分の行いの罪深さに改めておののいた。

 そしてアラードは危ぶまずにはいられなかった。そんなことをいつまで続けられるのかと。人間の心はそんな戦いに耐えきれるものなのかと。
 ラルダは地獄に落とされたに等しい己の運命を、リアが免れるのが許せぬあまりに呪ったのだった。では、リアがリーザの姿をもし見たとしたら? 彼女はリーザを自分のようにさせたくないと思えるのか。それでも連鎖を絶とうとできるだろうか。運命の不条理に耐えきれるのか。堕ちずに踏み留まれるのだろうか。

 確かにリアは人の心ゆえに抗い続けている。しかし、ラルダがリアを牙にかけながら激しい渇きに耐えてまで吸い残したのも、そのほうが相手をより苦しめると思えばこそだった。吸血鬼の渇き、理に逆らってまで目の前の少女の苦しみを求めたのだった。それもまたラルダが持つ人の心ゆえの仕業だった。人の心が歪み堕ちた結果なされた所行に他ならなかった。髪一筋の違いとしか思えなかった。

 失ってならぬものを奪われた者は、失わずにいる者にどう臨むのか。

 踏み留まれるだろうか、自分がその立場だったら……。

 リーザの人としての生が失われてならないのは当然だった。
 それを奪うのは決して許されぬ大罪だった。

 にもかかわらず、アラードは容易に答えを出せなかった。
 自分が落としたリアの苦悶を想うと確信が持てなかった。

”人間なんていつ化け物になってもおかしくないものなのか”
 ローザの言葉がより内面的な意味と化して突きつけられた。


 その夜、アラードは煩悶に一睡もできなかった。

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