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2008年01月05日00:27

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続きのお話2 第2章 前半

 第2章 大草原


 レドラスとの国境近くの荒野のただ中に、激しく打ち合う音が響いていた。

 激しい気合とともに一閃した褐色の稲妻を、皮一枚ぎりぎりでやりすごした巨体の繰り出す黒い旋風が打ちすえた。木が折れたとは思えない音とともに木刀が砕けた。
 湯気を上げるほどの汗にぐしょ濡れになった赤毛の若者が膝を屈した。衝撃でしびれた両手が木刀の残骸を取り落とした。

「突き技の速さだけはたいしたものだが、後先なしではどうにもならん」ボルドフが黒塗りの木刀を突き付けた。
「おまえの戦い方だと相手を倒せても刺し違えになるだけだぞ。それでは勝ったとはいえん。生き残らねばそこで終わりだ」

 アラードは返事もできず、荒い息をつきながら巨体の剣の師を見上げた。その視線を受けたボルドフの黒い目が細められた。
「忘れられないのか。村で見たことが」
 アラードは答えなかったが、ボルドフは続けた。
「忘れられないのは仕方がないが呑まれるな。心乱れたままではとうてい戦えんぞ」

「私の力が足りないからですか」アラードが呻いた。
「こうして剣を磨けば乱れを克服できるでしょうか」

「力を磨くのが自分への信頼につながれば支えにはなるだろう。だが人間に対する疑念が自分への信頼をゆるがせているのなら、それは間接的なものにすぎん。力とは違う次元の話だ。自分なりに疑念に対する答えを出すしかないだろう」
 ボルドフは木刀を納めた。
「そういえば、あいつもなにやら悩んでいるようだな」
 顔を向けたアラードの視線の先に、羊皮紙の束を睨むグロスの姿があった。


「これが解呪の技の術式だ。吸血鬼の魂を呪縛する不死の呪いを砕くことで消滅させる唯一の呪文を記したものだ」
 グロスにいわれて羊皮紙を覗き込んだが、アラードにはなにが書いてあるのかさえ読み取れなかった。

「暗号だよ。ラーダの教義に鍵をひそめたものだから教義に通じた者でなければ文言がそもそも読み取れない。そのうえもともとの邪法の術式に食い込むように教義にもとづく禁忌の術式が組み込まれている。あたかも術を使う者の心を監視するかのように。そして浄化と鎮魂の祈りで結ばれる」
 グロスの言葉がとぎれた。結びの部分を見つめていた。

「術式を変えるには教義と魔法体系の双方に深く通じた者でなければ手を出せぬ」
「変える? 師父は術式を身につけておられるのでしょう?」
「だが発動できずにいる。自分でもなぜかわからない。いや」
 グロスは嘆息した。
「実のところ私はこの術のあり方が納得できないのだ。この術は術者に無理なことを求めているのではないかと」

 グロスは傍らに立てかけた錫杖に目を向けた。それはアルデガンで彼が仕えた大司教ゴルツの使っていたものだった。ゴルツがアルデガンを守るため命を落としたあと、グロスが師を偲ぶ形見として持ち出してきたのだった。
「むろんゴルツ閣下は術式を身につけ使いこなすことができた。それでもこの技は閣下を苛んだではなかったか。そなたは閣下に同行しその戦いぶりを見たであろう。そうは思わぬか?」

 もちろん憶えていた。忘れられるはずがないものだった。

 アルデガンの洞窟で、ゴルツは20年前に吸血鬼にさらわれたラルダと対峙した。愛娘は変わり果てていた。己に降りかかった運命の不条理に心歪ませ無残に堕ちていた。不条理を免れる者を許せずわが身と同じ地獄に落ちよと憎み呪うしかないまでに。
 ラルダはその憎悪と呪詛ゆえにリアを牙にかけながらもあえて殺さなかった。生きたまま転化してしまった己と同じ苦しみを味わえとの思いゆえに激しい血への渇きさえねじ伏せて吸い残したのだった。そして全ての者に牙の災いを向けようとしていた。
 ゴルツは壮絶な戦いの末ラルダを滅ぼすしかなかった。しかも神の御許へ還れとの老いた父の願いはもはや娘に届かなかった。全てを呪いながら彼女は霧散した。その身も魂も無に帰した。

 だから娘を牙にかけた吸血鬼に出会ったとき、ゴルツは憎悪に染められた。その憎しみの激しさは術式に組み込まれた禁忌の枷さえ打ち破り、憎悪の心では発動できないはずの術を暴走させてしまった。呪殺の邪法としての本来の姿をむき出しにした解呪の技は怨敵を滅殺したが、組み込まれた禁忌の術式は教義に背いたゴルツの心の奥底を大きく乱した。
 その後リアがアルデガンに迫る破滅を人としての心の命じるまま警告しに現れたとき、ゴルツはもはや正常な形で術を発動できなかった。彼女の心を感じながらも受け入れることのできない彼の心を反映して術はねじれた形で発動した。リアの魂を呪縛する不死の呪いを砕くことができず、ただ不滅の肉体を無意味に苛み切り刻むばかりだった……。

「これでは相手が邪悪で許せない者であればあるほど、この技は使えないとしかいえぬではないか。とても浄化も鎮魂も願う気になれぬ相手なら本来は発動もできない。できたらできたで術者の心が損なわれる。なぜこんな術式になっていると思う?」
 アラードに答えられるはずがなかった。

「……禁忌の術式を外すしかないかもしれぬ……」
 アラードは耳を疑った。「しかし師父! それでは……」
「確かに呪殺の邪法の姿に戻すことになってしまう。だから私も迷っているのだ。もともとの邪法は人間同士の殺し合いの道具として魔道の領域から生まれた。そのままの形ではこの世の災いでしかないものだ。それゆえ過剰に制限を設けた先人たちの恐れもわからぬではない」

 呻くような声だった。その目は古の羊皮紙を凝視していた。

「しかし吸血鬼と化した者はもはや人外の魔性。討つための力は必要だ。アルデガンでのリアは確かに人の心を残していた。だがいつまでもそのままでいられるとそなた断言できるか? すでにあれは牙を血で染めたはず。ラルダやその仇敵のような鎮魂も浄化の祈りも届かぬ邪悪の権化に堕ちぬといえるのか? そもそもリア本人が自らの末路への恐れゆえに己を滅ぼせと願ったのではないか。そなたに託したのではないか」
「師父!」アラードは思わず叫んだ。声に血を吹くような苦痛がにじんだ。グロスがはっと顔を上げた。それがアラードにとってどんな問いかけであるか気づいたらしかった。

 アラードはリアが瀕死となったとき自らの手を切り裂き刃をつたう血を飲ませてしまった。彼女の魂が失われることに耐えられなかったからだが、それはリアが人外の魔物と化すことへの恐怖と表裏一体のものだった。しかもゴルツの死に立ち会ったとき、血溜りからの血臭にリアは渇きに襲われた。必死で抗うその心が屈しようとするさまを、彼は恐怖に見開いた目で見たのだった。それこそ彼女に人間としての己を断念させた最後の打撃となったものだった。

 アラードの心の底に爪あとを刻んだそれらの記憶は安易な楽観を許さないものだった。彼がいまだ正面から向き合えぬものに、グロスの言葉はじかに触れたのだった。
「すまぬ! そういうつもりではなかったんだ!」
 うろたえたような師の声に、アラードはぎこちない笑みを返すのがせいいっぱいだった。

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