先行きの読めないサスペンスとか、感涙必至の実話ベースとか、1人の演者が芸道を魅せる華やかさとか、爪痕の深さで広く世間で評判が公表される類のインパクトの大きさ比べで言ったら引けをとってしまいますが。なまえが「さとこ」で重なるだけの年齢、境遇の違う三人の女性が、「お話」を綴る事とに囚われるという、そこには、誰も傷つけず、ただ独り善がりで華もございませんが。楽器でもパフォーマンスでも、何かで自身を表わそうと、若かりし頃に一時でも狂おしくとか、歳を重ねた今も胸の内で密かにとか願った経験のある方でしたら、そっと心の隅に置いて思い出したくなる、細やかでも心強さを与えてくれる事請け合いの作品でございます。
15歳に、35歳と55歳の三人のさとこを現代に生きる夫々の世代が抱える境遇や葛藤を負った「1人」として各人の逸話を描きつつ、当人に意図は無くとも、「袖すりあうは多少の縁」みたいな感じで、「無意識下に与える影響」としての、互いの「ニアミス」が作り話とはいえ、あったら良いなと感じる心地良さがある。
中でも、本編登場の一番手である15歳の中井聡子のエピソードが出色で、後に控える二人が、キャリアや仕事に家族といった背負っているものが無いうえに。劇中で自身の手で紡ぐ「物語」が、オトナさとこ達は、犯した過ちや成し得なかった想いの総括であったり清算と後ろ向きな創作であるのに対して、他者によって目覚めた書く楽しさが向かう先は、それがまだどういうものかも判らない初恋の帰着で。好きになった相手と、「文章を綴る」という初めて没頭出来る事の両方を掴みかけて、のめり込む前向きさが前面に出ていて。それは、典型的なアオハル話ではあるけれど、自身の才能とキモチを信じきり没頭するその活力溢れるエネルギーは、後に控えるオトナさとこのエピソード牽引力でもあり、その頃を既に通過している観客をも煽るのだ。
15歳の聡子を演じるのは、本作が映画初出演となる姫野花春さんで、役の年齢とほぼ同じ。もちろん、本人の感性や度胸が備わっていたのだと思うけれど。デビュー作なら、情緒たっぷりに初々しく振る舞いたいところ、冒頭のシーンで耳鼻科の治療室でネブライザーを鼻に突っ込んだアップから入るという。華とは縁遠くも、記憶には間違いなく残る登場。そんな変顔に等しい状態を、隣の受診椅子に座る同じクラスの男子に見られたうえに、さも無い会話の間に恋心を抱いてしまう。
尺の割り当てが三分の一と限られたエピソードなので、聡子を囲む周囲の人達との関係の掘り下げは希薄になるところ、聡子本人の状況や心情についての描写は省略を利かせながらも的確で時にポップな印象も生まれて効果的。
塩辛が好きで、家庭での会話内容とリビングに並べられた家族それぞれの名前が入ったサインボール三つがバットを立てた様に模した台に乗っけて飾られているところから、父親の影響で野球好きなのだろうか。そんな流れでソフトボール部に身をおいてはいるものの、向上心は働かないらしく、ライトの守備練習でフライを取り損ねる描写が、球場では無い違う部員の姿もあるグラントで守備位置に立っているらしい聡子のみの全身姿だけで現れるのだけど。凡そ、取り合えずの姿勢で中学校生活を過ごし、食生活面でも、可愛らしさよりも父親譲りのオヤジっぽさが伺えた聡子の心境や姿勢の変りっぷりが、始めの紹介描写のシュチュエーションを用い、クスっと口元がゆるむ可笑しみを醸しつつ見せてくれて、テンポが良いです。
聡子の「書く」能力を見出すのが国語の担当教師寺尾で、扮する吉田洋さんが新人を手堅くサポート。何か色々と過去とか嗜好とか秘めているみたいで、決してフレンドリーでは無いのだけれど。課外授業の歌舞伎鑑賞を爆睡してしまって。丸っきり歌舞伎を見ていなかった事を開き直ってレポートとして書いた文章が、「見なかった生徒が書いたもので一番おもしろい」と寺尾の目に止まってから、お題を書かれたノートをぶっきらぼうに寺尾から渡されて、その都度面白がらせようと聡子は取り組むウチに、「書く」喜びに目覚める。ネブライザーをしながらとか、帰宅途中にある河原に腰かけて、ノートに無心に書き込む姫野さんの姿勢や表情に取り繕った感じが無く夢中であるのが伝わって来て。監督の新人演者への表現の引き出し方にも、感心しました。
過去、若手の染まっていない演者が、「失うものが無い」若さゆえの思いっきりの良さでぶつかった姿が焼き付いている映画が過去にもありますが。石田ひかりさんが扮する55歳の里子の旦那役が、筒井道隆さんで。私は、二人がカップルとなったTVの「あすなろ白書」を見ておりませんが。高岡早紀さんと共演した「バタアシ金魚」では、筒井さんも、まだ駆け出しで、今作の姫野さんみたいに無我夢中な感じで演じていたのを思い出すと同時に見ていた自分も、今よりも当然若く。
本作での石田さん、筒井さんの役が、大学在学中に結婚して、文学部の里子は、子供を授かったのもあって「作家」の夢を捨て以来子育てに奮闘し、気が付けば30年を過ぎており。感謝の気持ちを貰う訳でもなく続けて来た弁当作りが終わったところで、昔の夢を思い出し机に向かうのです。
子育て終わりという状況が、見ているこちらと丸被りで。こちらのパートでは、里子自体が、この後の生き方を見つめる意味で「書く事」が描かれておりますが。それを見守る筒井さんの旦那が取った行動の方に思い至ってしまって。なので、こちらも「お弁当」の扱いが的確に効きました。
そして二人のエピソードを橋渡しする、有村架純さん扮する35歳の沙都子パートですが。まず、彼女が書く物語のタイトルを構成する「おでん」が美味しそうで。透き通った汁にひたった具材が並ぶおでん鍋の大根に、調理人がお玉で掬った汁を掛けて更に味をしみこませて更にキラキラと神々しさを増して具材を引き立てて見せるワンカットが挿入されるのですが。晩飯前の空きっ腹で見たので、あれは堪えました。我国のフードコーディネーターのお仕事は、本当優秀です。
話題を逸らしましたが、沙都子は映画配給会社の宣伝部中堅社員で、仕事でも趣味でも韓流ものに肩入れしていて。そして、私生活では、不倫関係を6年続けているという。その前の聡子編に比べると、濁っております。
権利の問題があるので、実在する作品をそのまま引用出来ないので、本作用にわざわざ架空のドラマや映画(こちらは、ポスターデザインだけで済ませてますが)を用意する周到さですが。映画宣伝の会議にしても、彼女と目下の女性社員がデザインしたポスターどっちが良いかとか、情けない男として客演する作品に外れ無しのオダギリジョーさんが相手のグズグズな関係もハッキリとした「答え」が見えない生活を送っていて。
全部を見てはおりませんが、あまり手応えがこれまで良くなった有村架純さんですが。オダジョーとの関係を振り返る場面では、「失楽園」をモロ模したカットを始め、レイティングに掛らない範囲で、表には現れない嗜好や本性みたいなものも垣間見せて、ありのままの姿を見せて健闘されています。作り手の意匠の助けも効して大きく見劣る事はありませんでした。彼女が「書く」のは、それまでの行いの、清算や自身の浄化なのでありますが。別れたら次の人と、変わり身を見せて、創作の意義がそれぞれの立場で変って、総てのエピソードに於いて、重大なものとして通して見せてはいない。
そして、三人のさとこのエピソードの締めくくりなのですが。劇中で、それへの情熱や喜びをもう顧みないのかと、ちよっと残念な気持ちに陥っていたところを、巧く救ってもらって。快く、席を立てました。
拙文にお付き合いいただき、ありがとうございました。
シネプラザサントムーン シアター6にて。
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