日本製のアニメーションやそれに絡む楽曲が、世界的な受け入れをされているのを目の当たりにするとグローバル化も、グッと身近に思えたりするも。それでも、世はハリウッド主導で、ソフビ人形みたいな3Dモデルキャラを動かすデジタルアニメがメインストリーム
シンプルな線画による素朴な絵柄なので、お子様の付き添いでみるアニメーションかと情報を耳にしていない方が決めつけたとしたら、直ちにそれを払拭願います。擬人化されて二本足歩行する動物たちが暮らすニューヨークの街で孤独を抱えた犬と通販ロボットが過
タイトルから触れたくない描写が過って、視界から押しやりたいと思われる方も少なからず居らっしゃるでしょうから手短に綴る事を心掛けます。さりとて、一昨年の劇場公開作「さがす」や、私は配信ポータルを特に契約していないのもあって目に触れてないけど「
世界的作品のヒットの強要を課せられない分、製作規模が小さい半面作り手の創意が作品の頭から尻尾まで活かされて。今日、数少なくなった「小品」だけれど、見る人の胸中に体感した意義と味わいを残してくれる。鑑賞の動機は、「エルヴィス」での鮮烈な印象か
去年の賞レースで評価の対象に上がっていた「月」は、見送ってしまいましたが。手掛けられるテーマについて、登場人物の判断の欠如に疑いが過るフシが否めないくらいに、極端な困窮状況として見せる傾向が、石井裕也監督作品に自分は伺えてしまって。本作のお
ある程度の尺の視聴に抵抗が無ければ、無条件に勧められる一篇。何より、性根が悪かったり、粗暴だったりといった悪い人間が一切出て来ないし。現実と地続きの憂いごとを、見せつける事も無く。「八犬伝」に出ていた鶴屋南北が避けて通りそうな、理想とされる
ことわざ「勝てば官軍、負ければ賊軍」を正に指す、集団抗争時代劇。それは、道理に叶ってなくとも勝った者が正義で、それに敵対して敗れた者が悪と見做されるという事なのだが。本編で描かれるのは1868年江戸幕府に反旗を翻す薩長連合の官軍が朝廷を抱き込み
作者の滝沢馬琴から画師の葛飾北斎に聴かせる、創作者として残された精力を注いで編み出す表題作の世界観をも映像で再現して、28年に及ぶ馬琴の閃きと藻掻きの創作の日々と、二つの物語軸で綴られた本編。デジタルによる合成映像の移行発端期に「ピンポン」を
若手監督の才能に触れるべく、米国のヒット作や強力な話題作にも目もくれず。売出し中の俳優さんを起用して、諸外国の製作者も後ろ盾についた意欲作ではありますが。長年の鑑賞による錆びついた感性に活をいれて貰おうと臨んだのですが、残念ながらそれには及
邦題から受けるイメージでは、慈悲や同情を掛けたくなる人物や出来事で綴られていそうですが。今年初めの「哀れなるものたち」の監督とキャストの引き続きの競作にあたるので、邦題の「音」を揃えて関連性を呼び起こす意味合いだったのでしょうか。2時間半を
人ではない生命体の「仲立ち」によって、絆を育んだ3人の物語。他者との関係の築かれ方が、据え膳的に「他力」なところに、気後れだとか理解され難い「囚われた気持ち」に藻掻く姿を不格好でも描いて来たと思う脚本家の岡田磨里さんが手掛けるにしてはアッサ
35年前の第1作目の記憶も、おぼろげでありましたが。公開当時は、名前が知れ渡る前の若手監督の手掛ける長編実写作品2作目にして我が国では初お目見えのうえ、ハロウィンの名称もスラッシャー映画として一部のファンに認識される程度で、今みたいな「行事」と
富や力を持ったネジの外れた輩が、捉えた弱い者を標的とするマンハンティング(人間狩り)の状況というのは、世界的統治者、狩猟民族、銃社会だからこそ描かれて来て。アジアの東端の小国で、農耕中心に、建前では自衛の必要のない社会環境だから、本作後半に現
「午前10時の映画祭」企画での上映により、本作と初めて銀幕での待ちに待った邂逅を果たせて、感無量。去年、一部都市で再上映となった4Kリマスター版の上映権を獲得した配給会社が、「映画祭」に又貸ししてくれたお陰。ありがたや。80年代半ばでの本邦初公開
物語から何かしらの共感だとか示唆を与えて貰おうって受け手姿勢で臨むと、徒労に終るかもしれない。それ故、本作のヒロインは、見る側の感動装置に働きかけを負って仕組まれた感情展開の再現装置とはなっていない。多くが好ましいと受け取られる「良い人物」
それこそ実体の無い「感情」だとかをキャラクターに起こして、子供から大人まで判り易く見せる「擬人化」手法が取りやすい事から、作り手の拘りよりも見る人に感情的な「贈り物」を差し出してくれるサービスを求められがちなアニメーション作品でありますが。
判り易くて、取っ付きやすい。キャストや原作の話題性に富んで容易くチケットを求めてしまいたくなる作品を切れなく送り込んで邦画市場を席巻する映画配給会社の東宝様。その揺るぎない営業戦略故に、作品評価で年間を区切った賞レースでは影が薄くなりがちな
CG仕様となった今現在のユニバーサル映画のロゴ映像と同時に流れる、70年代ディスコ全盛期に生まれた白塗りメイクの四人組のロックチューン一発で、このオッサンである観客は2時間少々のこの作品との「付き合い」に、あっけなく乗せられてしまった。聴けば元
お目見えした本作の「下敷き」となった1996年製作の「ツイスター」について、あらためて旧作の記事を読むとクラッシック映画にあったスクリューボール・コメディの要素を、竜巻を追っかける男女の関係に掛けたとかあったけど。見た当時は、そんな素養も無いし
タイトルに「劇場版」の断りがあるというのは、お察しの通りTVシリーズから続く映像化なのでありますが、それを知らずとも堪能出来ました。通常の劇場版と違ってテレビ局を主幹とする製作委員会がバックに付かず、メディア戦略の常道から外れて実に放映から17
都市部での公開日から時間がかなり経って、やっと地方でのお披露目となる。その間、いろんなところで評判が上がっているので、今更感が強いけど。短時間で判り易いか、中毒性のある動画がもてはやされる時代に、時制の入れ替えも無く刺激性も皆無の全尺133分
封切日から、一カ月以上が過ぎて。その後の新作の封切で話題性が薄れて、配信ポータルへのアップが時間の問題なのにも関わらず、例え時間枠の「穴埋めのため」だったとしても、よくぞ本作をスクリーンに掛けてくれた地元劇場に感謝の意を捧げたい。流石に前作
劇場公開作品として、興味を引くためにパッケージングとしてある程度の「装飾」は致し方無いものとして。あの突然の訃報から早八年。邦題は、後にも先にも比類なきアーティストの存在をデコレートしているが、原題が大まかに指すのはミネソタ州のミネアポリス
今や過去の出来事になりつつある、コロナ感染による非常事態宣言下に起きた2020年東京で若い女性にまつわる痛ましい事件の記事から着想された本作。昔あったドイツ映画で、いけない薬に溺れてしまう「クリスチーネ・F」も想像させて、ドロップアウトしてしま
出掛ける当初は、さすがにオジサンには「気恥ずかしさ」が先立っていたのですが。本作公開同時期に数多ある社会的問題を意識した作品とは、まったく対極的です。気に掛ける相手に対して正面から向き合って、その想う気持ちを結果はどうあれ誠実に相手に伝える
ポスター等の宣伝画像や場面のスチール写真を見ての通り、砂漠の荒地で巨費を掛けたマシンの壊し合いと、その混沌とした修羅場での生存を賭けた対峙が見せ場のカークラッシュが「売り」である。それでもって、もう10年も経った前作は、西部劇で原住民の追手と
まず何より、遥か昔の自国に栄えし江戸の頃の街並み、風情、情緒に目から触れられる端正な画作り。時代劇撮影の歴史、ノウハウが蓄積された京都の撮影所を拠点としたお陰で、商家が並ぶ通りや、独特な構えの吉原遊郭の囲われた別世界、民草が狭い軒を隣り合わ
なかなか地方ではお客さんを呼べなさそうな作品のうえに、ドラムとその演奏者にフォーカスしたドキュメンタリーなので、ここのところ刺激されている向学心を満たすため出かけなければと義務感もあったのだけれど。ことのほか「敷居」が低くなっているうえに、
本作で、初めてお目に掛かるワン・イーポーさんは、中華系のドラマその他で衆目を集めているらしく。公開規模はわかりませんが、この後我が国でも、出演作が2本掛かるのだそうだ。初物に手を出すのを躊躇しがちな私の目的は、ワン氏に胸を貸すトニー・レオン
「荒野にて」は、見送ってしまったけれど、45周年の結婚記念日を迎えた夫婦の崩壊を見せた「さざなみ」での、あの老境のシャーロット・ランプリングさんから引き出した演技の印象が鮮烈なアンドリュー・ヘイ監督が、山田太一さんの小説をベースとした作品と聴