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2026年09月13日23:38

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「許されざる者」を見て。〜ウエスタンで名をあげたスターによる贖罪が、漸く胸に染みました〜

自分の財布で何とか選りすぐった映画を劇場で見られるようになったのは80年代頃からで。なので、我国のチャンバラ同様、欧米製の西部劇作品も当然衰退していて。多少、吹き替え短縮編集版の有名作はTVで眺めたりしていたけれど。初公開時に本作を見た時も、「レイダース」の脚本を手がけたローレンス・カスダン氏がメガホンを執った「シルバラード」とか、全盛期のスタイル復興を狙った恰好のイイ新作数本を見ていただけで、西部劇の真髄に触れているとは、とても言い切れず。

まだ人生も映画を語るにも浅い年齢のうえ、ミートゥー運動で映画界ほ追われたワインスタイン氏が手がけたオスカーを獲った作品とか、何が賞賛にあたるのか全く判らず。本作も、県庁所在地の随一の大劇場のスクリーンで期待を込めて視線を注いだのですが。紹介される劇中スナップ写真がハッキリと対象を写しているのに対して、西部史に於ける生活状況と登場人物の過去に囚われた心象に倣うのもあって、色調が暗めに落とされているうえに、「賞金稼ぎ」を求めての追撃に纏わる一部始終か淡々と進んで、悪辣な映画製作者の息は掛かってませんが、当時の自分には高評価が腑に落ちずでした。

なので、午前10時の映画祭の番組に組まれて。同時期上映されている中島哲也監督の新作には、キャスト面でチヨっと後ろ髪引かれるも、映画祭ラインナップを知った時の決心を実行した次第。

一応、地元劇場も4K上映対応と標榜しておりまして。「薄暗さ」の中の被写体が、際立って見えるような劇的効果は認められませんでしたが。遠い記憶の大画面にはスクリーンの大きさは、何せ30年以上昔の旧作を掛けるのですから、当然及ばないものの。全体がつぶれて鮮明さが欠けていたフィルム上映よりも、明らかに「暗い色調」って識別できた分光度が、デジタル素材と機材で上がっていたのかも。素人なので、こんな記述でスイマセン。

治安を守るジーン・ハックマン扮する保安官リトル・ビルが、賞金稼ぎを目論む、かって非道な犯行で名を馳せた非情のガンマンにして、今や孫にも等しい子供二人を若い妻に先立たれて独り手で育てる初老の巨匠自ら演ずるマニーの行く手を阻む「壁」になるのだけれど。昔ながらの西部劇にあるような良い奴、悪い奴の枠で括られない。なので、リトル・ビルは、ラスボスとか判りやすい位置には当てはまらない。家族は居ないけれど、DIYで自宅を建てていて、しかも、その出来が歪だったりして、「親しみ」も見せたりする。

町の治安を維持する要所では、暴力と罵詈雑言を浴びせ、絶対的な威圧により服従を強いる。そして、揉め事を治めるタメには、事業主とか見返りある者は立てるけれど、力のない娼婦には見向きもせず。なので、切傷を受けた仲間の復讐で、自分たちの蓄えを懸賞金として客の牧童二人を討つべく密かに殺し屋を募り、マニーの耳に入ったのだけど。その保安官の治安の建前で強権発揮する様子や、高度な発展を迎えた現代にあっても溝の埋まらない人権の問題だとか、昔作品のうえ西部劇なのに、社会問題の写し絵にもなっているし。なにより、本作でオスカーの助演男優賞の栄誉を授けられた、ジーン・ハックマンの穏やかな顔から、強権的治安行動に現れるヒトの奥に潜む「怖さ」の発露には、初見の時と同じ感嘆が漏れました。

初公開の頃から流れた月日は、多少、見る側にも感受性や思考力を授けてくれて。
ただ場面が流れるのを傍観して終わるのではなく、物語の展開もそうですし、登場人物の心情も味わう事が出来て。特に、賞金対象の牧童を追いつめてゆく件から、元殺し屋の老ガンマンのマーニーと、リトル・ビルら一派との「対峙」まで、食い入るように、4K映像を注視させられました。スタイリッシュで溜飲の下がるカッコ良さとは対極の人を「殺める」重大さとか、良い奴が悪い奴を退治するとかの簡単な図式ではなく、図抜けた奴が、そうでない奴を出し抜いた結果の銃撃戦、殺し合いである事を。シュチュエーションにセリフの肉付けで持って見せていて。漸く、巨匠の真髄に触れられました。

巨匠の演者としての全盛期に撮られた「ダーティー・ハリー」の1作目で、張っていた銀行から出てきた強盗の脚を、彼の名刺となっているマグナムで撃ってホシが仰向けになっているところ。手元に近い銃を取ろうか強盗が逡巡しているところで、「お前は、今日、俺はついている(ラッキー)か考えているだろう。さあどうだ」と言い放って、マグナムを向ける名場面があって。英語発声の「ラッキー(ついている)」が、本作でも何度か語られて。

TVで見た「ワイルド・ギース」ての兵士役がカッコ良かったリチャード・ハリスが、あの映画から歳をめされたけど、英国から来たイングリッシュボブとして、伝記ライターを連れて賞金欲しさで街に乗り込むも。リトル・ビルに、華麗な経歴のメッキを剝がされるどころか、暴力によって鼻をおられて尻尾を巻いて街を後にする際に、リトル・ビルが記者に語る、強い者の真髄。そして、マーニーが、賞金の話を持ちかけてきた血気に逸る若造に悪行の数々を語れと迫られるも。それぞれが、「運が良いかどうか」を語るのだけど。

それらを経て、酒場での「対決」を迎えて。追いつめられたリトル・ビルが、「俺は、こんな事で死ぬような運命じゃない」と放つのに対して、マーニーが「運命かどうかじゃない」と返して。悪い奴が相応しい結末を迎えて、良い奴は、生を謳歌できる運にあるのではなく、死とは唐突に迎えるものだと、闇がかった場面で示して。これは、権力を行使して、悪い奴への報いを示したハリーの立場を取り下げて、キャリアを積んで西部劇の屋台骨も背負った演者イーストウッド様が、自省と備わった知見を、過去の罪に苛まれるマーニーの役にのせて語っている。取り様によっては、エンタテインメントの為に見せて来た、悪者の運命を握って来た自身のキャリアを贖罪するとまでは大げさだけれど、総括、埋め合わせるようにも受け取れて。演じて来た自身によって、製作監督しているだけに、より強く感じます。

自家農場で、豚を追っていた冒頭のマーニーは、賞金稼ぎに出掛ける際を皮切りに道中も、馬に跨るのも一苦労で、昔の「稼業」から足を洗ってカタギとしての時間が長く、無事に子供の元へ帰れるのか、見る側の張りつめた気持ちを緩める傍ら不安感ももたらして。これも、かって演じて来たウェスタンヒーローで抱かれるイメージの裏切りも含んで居たのだろうけれど。クライマックスでの酒場での「対峙」を経て、逃亡を図るべく、外に繋いだ馬へ戻る際に、一仕事終えて、肩で風を切って西部劇的スイングドアを体ごと開けて闊歩して出てゆくのではなく。ライフルを携え、ドア陰から自身を狙う者が居ないか店の外を確かめて身を屈め素早く馬へ向かう行動に、染み付いた殺し屋の頃の身のこなしが戻った辺りにも、マーニーの研ぎ澄まされた感覚が伺えて。さもない描写ですが、その後街を去る時の「啖呵」も、鋭く刺さりました。

そして、女子供に容赦無かった冷血なマーニーをまっとうな人間に変えた妻、クローディアの存在は、見終わって更に大きくなって。劇中では、当然遺影も無く、姿も想像が及ばない。そもそも、拳銃もった粗暴な年上の男に近寄る事すら躊躇うだろうに。無益な詮索は置いといて。心の底から「信ずる人」への愛があってのお話でもあった。巨匠自ら作曲した静かに流れるテーマもあいまって、染みました。

拙文にお付き合いいただき、ありがとうございました。
シネマサンシャイン沼津ららぽーと シネマ8
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