音楽は、感情を引き出して、目前に広がる光景を強く結びつける。監督の盟友サイモン・ペグとニック・フロストらと結託して撮った、ゾンビもの、刑事もの、終末SFものにオマージュを捧げた「コルネット三部作」のうち、とりわけ「ショーン・オブ・ザ・デッド
フライヤー画像と原題マンマの邦題からは、黒魔術の呪いの呪縛に絡めて取られてしまっただとか、フェティッシュな殺人鬼に捕捉されて身動き出来ない構図が、想像されたりもしますが。そんな、オカルト的だとか、猟奇的なショックに身構える必要は、全くござい
自分らしくと、我を通しても思った通りには、ならず。思春期真っただ中から、世間を知るオトナに至るまで抱える問題を、イロイロな表現で時代や、お国柄関係なく取り上げられ続けている。ストーリーの盛り上がりを創り出そうと、凝った設定で訴える作品もある
胸に抱えた「空虚」と、それを取り繕うかの空回り同然の悪あがき。「ふがいない僕は空を見た」以来、描かれる完璧には程遠い、欠点の目立つ人達に惹かれてタナダユキ監督作品を、追いかけている。前作「ロマンスドール」も意欲作ではあったけれど、題材に対し
ドラマ映像化作品が、稼いだ視聴率で劇場動員を皮算用する「劇場版」の絶えない、相変わらずの邦画界。目利きの方なら、その多くを跨いでやり過ごされたりする訳ですが。予告から、銀幕へのステージ変更が、重荷なのがアリアリな「劇場版」が多いところ、これ
半世紀以上前に出版されて、この間多くのクリエイターの間で映像化を試みられてきた原作が、如何に彼らの「創造欲」を駆り立てたか、最大規模のスクリーンに投影されたビジョンは、スケールはもちろんだが、何光年も隔てた惑星に根付く文明の荘厳さに、そこに
劇中、中年男四人が、レストランでキャビアをアテに、グラスを満たしたウォッカをあおる場面で、見ているこちらも、ノドを浸してゆく発火しそうなアルコールの味わいを想像してしまった。とはいえ、家に着くまで、実際にグラスを空けるのは、我慢できますが。
(注:ネタバレはありませんが、描写や映像表現に触っているので、その点ご承知おき願います。)この英国諜報部の許可番号には、全世界を股にかけたスペクタクルの興奮が約束されると共に、紳士の国らしく、スーツや、車に、お酒の嗜みに、世界の危機に立ち向か
ブラック・ミュージックにうるさい限られた人達に向けられたドキュメンタリーではなく、間口は広く開けられた作りであります。(なんせ、アカデミー賞に多くの作品を供給している、サーチライト・ピクチャー社製作ですからね。)1969年、ニューヨークのハーレム
脚本提供の「ボーダーライン�機��供廚法�脚本兼監督作「ウインド・リバー」と、気骨ある作風で、今日にあって得難い存在である事を示したテイラー・シェリダン。見る者を捉えて離さないクライムストーリーの送り手として、殿堂入りとまではいかなくとも、高い
既成概念で凝り固まっていた、松坂桃李さん扮するエリート刑事日岡の変貌を凝縮した前作のクライマックスでの「立ち回り」に、心掴まれました。けれど、それを凌いだのは、なんと言っても役所広司さんのマル暴のアウトローデカ大上の魅力。ハナから、日岡が大
世に出てから10年以上。本作のキーアイテムの携帯電話器は、今やスマートフォンに変わってしまって。それだけでも、「時代」を感じてしまうけれど。でも、あらためて全話を買い揃えたディスクで見直すと、古さは感じられない。「自分では、どうにも出来ないこ
蔓延防止法適用で、上映回数が一日一回になってしまったのにも煽られて、2回目を見に行く。世間に出回っている、冒頭映像の紹介動画を見ても、パソのモニターだと、却って飢餓感覚に囚われてしまって。前に、作品全体像を記したので、目に留まった場面だとか
本作に、心とらえられるのは、ミュージカルという「ジャンル作品」のフォーマットのもと、スポットライトを当てられた、中南米系のラティーノの男女四人が抱える葛藤の顛末が、キチっと創り上げられて、まず、久方ぶりに清々しい気分が味わえます。そのうえに
先日、劇場で「イン・ザ・ハイツ」の予告を見た。映画ニュースサイトでは、評判の高さに見合った興収が上がらなかったとか、舞台作品の映像化で、以前見た「クレイジー・リッチ」の監督がステップアップしたとか、些細な情報は入っていたけど。予告では、マイ
「時をかける少女」チックな、アオハルジュブナイルも想起させる邦題だけど。作品イメージを負わせた女性主人公の対となる、冴えない青年グアタイと比べたら、見栄えは違う訳で。マーケティング上は、彼女を立てるのは致し方ないかなと。単館系作品隆盛期に、
<キャラクターや、ストーリーに纏わる込み入った話は、身内のソバの方と済ませたので、大雑把な視点で徒然と。なんて、前々回から謳っているけれど、多分、今回もスルーは覚悟して。>育ての父は、TV放映で頭を使わないハリウッド製アクション映画を見るのが
あらためて、楽しい時間というのは、あっという間。見終わって待つ面倒で煩わしい現実だとか、見ている作品の伏線や技法の解析なんかに、囚われることなく、スクリーンに映し出される熱の入った歌唱、演奏に食い入る。鑑賞マナーは、わきまえて、胸の内でのス
些細な切掛けから、手の付けられない「大暴れ」。この感染下で、力持つ者がその義務を果たさず、その無策ブリに翻弄されて忍耐を強いられている中、腕力にモノを言わせる者達を完膚なきまでに叩いて、見た目通りに、日頃溜まった「ガス抜き」の期待に、応えて
独裁維持のための報道規制で、将軍サマに都合の良い事しか流れない北の国事情もあって、興味に駆り立てられながら、「真実を知る覚悟」もハラに据えて、臨んだのですが。映像で示される、絶対に許されない強制収容所の実体から、如何に環境が、人を恐ろしく変
警戒宣言直前は、コロナ感染の恐れもかえりみずに、客席に座っている事に居座りの悪い思いも抱えながら見てましたが。宣言撤回後も、ハリウッドメジャー作の繰り返す延期によって、およそ日の当たらない作品が公開されるのもあって、自身の満足と、劇場支援の
欧州の国が、ロックアウト後のエンタテインメント業の必要を表明したのに対して、我が国では、「不要不急」という言葉で追いやられました。政界とパイプのある業界以外は、横並びの自助で片付けられて。そんな状況になる直前、隣国では初の米国オスカー受賞の