世間での評価通りに受け止められ無かった前作を経て、今年前半に本作の予告編を見た時も紀元前のコスチュームプレイは、ちよっと縁遠いものを感じてパスも過ってましたが。監督拘りの全シーンIMAXフィルム撮影作品ということで、近頃興収のかさ上げで、通常規格サイズの作品をコンバージョンしたものが溢れ出している中、間違いのないホンモノの映像体験の機会を逃したく無いのと、名声を経てもなお飽くなき映像表現への執着への敬意を持って出掛けましたが。一時の印象で、見送らなくて良かったです。
古代ギリシアのホメロスによる叙事詩から、何となく知っていた「木馬」での侵入を機に勝利を収めたトロイア戦争を終えて、10年の歳月を経て故郷イタケへ帰還するオデュッセウス王が遭遇する苦難とその過程で生じる葛藤にフォーカスしている。グリーンバックにそれらしい背景を合成するのではなく、ロケ地に赴き、時代考証を踏まえたコスチュームに小道具を配したうえ、例えば戦禍で崩れ落ちる石積みの棟の質感に画面後方で崩れ落ちる重みとかロケ地にしっかりと設えたセットは、大きな画面サイズの光学的な特性を活かして。芸術的であると同時にさもそこに居合わせているかの臨場感を、大画面から浴びせられる。
そして、没入感という点では、島だとか陸地から陸地へ渡り行く漂流譚でもあるのだけれど、人力と風力のみの推進力しか持ち合わせない木船が波に揉まれる際の荒れ狂う海のサウンドエフェクトと、リズムパートが殆どない打楽器と肉声の音楽が合いまった時の重低音を聴かせた音響は、何度か最高上映施設で作品をみて来ましたが、ずっしりと腹部に押し寄せる感覚は、かって無かった程のものでした。
「神に抗え」のコピーの通り、オデッセウス王の「想像上」の対話相手であるとか、引きの画でハッキリとした姿は確認できないものの、今年の興収の頂点にのし上がった可愛い見た目とは裏腹の毒を持っているらしいアニメーションの劇場版キャラの原形だとか、人の姿に近い神の存在もあれば。冥府を彷徨う死者に、明らかに厄介な、人間を喰ったり、規格外の体格の上に甲冑を纏って振るう相手が違うと叫びたいほどデッカイ西洋剣で集団で切り付けて来る中型から大型の神というよりモンスター範疇に入る巨体二足歩行生物。
あと、「千と千尋の神隠し」の千尋の両親エピソードや宮沢賢治の「注文の多い料理店」の出典モトでないかと錯覚させそうな、可笑しみと怖さに皮肉も入り混じった島でのエピソードとか。これまで、キチキチに理詰めな感じの作風を見せられていただけに、見る側の受性を自由にさせて貰える、イマジナリーで想像性に富む映像構成なのも、長尺を忘れて引き込む要素となっている。
特に、一つ目の大型巨人(この前見た「ミニオンズ」で、この存在についても洗礼を受けた。ただ気色の悪さは、こっちが勝っていた)と中型甲冑集団(ライストリュゴネス族と申すそうです)は、彼らを別に撮って合成しているのではなく、人間たちライブアクターと同じ空間にその存在が明らかに「ある」印象で、その手間の掛け方にも敬服いたします。
かように、1人の領主が領土と帰りを待つ妻と息子に元に戻るまでの冒険譚は、スケールと臨場感をもたらす「大作」として受け止めて、まったく差支えないのだけれど。領主の長き不在から、妻ペネロペに再婚を迫る男たちが100人押しかけて。客人はもてなすべしと申しつけが伝えられる「ゼウスの掟」を盾に城内に居座られて。トロイアへの遠征以来父オデュッセウスについて本人について「覚え」の無い息子テレマコスは、父の消息を求めて密かに出国した先で、知り得なかった父親の「人と成り」からまだ見ぬ指揮官像をイメージする。
片や、戦争での功績に反して故郷への帰還で神の仕返しで部下を失ったのもあってか、心神喪失状態に陥り女神カリュプソの元でカウンセリング生活が7年にも及んで、思い出語りによる心身のリハビリの終わり時を見極められない状況。第三者からのオデュッセイアの戦いっぷりについての評伝とオデュッセウス本人の口で語られる帰還の険しい道のりが、リアリティと創造のバランスが図られた重厚な映像として見せつけられるから、物語の進行について弛みを感じる事は無いのだけれど。本編に於ける「現在進行形」の出来事というのは、半分以上の尺を消費した時点では、実は大して進展してなかったりする。
演ずるトム・ホランドさんの見た目と実年齢からは、テレマコスが父の消息を知らずに居たのが20年というのは信じがたいけど(それを云うなら、ペネロペに扮する、近頃公開作の多さに出ずっぱり感が強い、アン・ハサウェイもアンチエイジング対策バッチリで。再婚を求めて、パティンソン君らが押しかけるのも不思議は無い美貌を保ち続けている。更にファンからの投石覚悟で書けば、父マット・デイモンの鍛えた体との見劣りも加わってか、トム・ホランド君が弱っちく頼りにならない事。イタケの行末が案じられます)。その間欠けていた父オデュッセウスの理想の指揮官・領主像、トロイア戦争の英雄像を、観客はテレマコスと共にイメージする。
流れる様な語り口を、そのまま受け取ってしまいますが。劇中の城内に集まった居座りの客人が集まって「宴」が始まる際に、紀元前である事を考えるとドレットヘアのスタイリッシュさが際立つラッパーのトラビス・スコット氏扮する楽士が、作品前半とクライマックスで、これから叙事詩を述べるのを宣言するかのように、正確な表現を忘れましたが、一言ワードを祝詞みたいに場に向かって言い放ちますが。本作の「下敷き」となるホメロスが記したとされる文献も、元々は言い伝えられてきた詩、評伝的なものの集まりとして原作の体裁を成している訳で。
楽士をわざわざ立ててから、被写体面積が最も広いフィルムでもって見る者を力技でねじ伏せて漂流・冒険譚を体感させて、領主なきイタケには、歴戦の英雄オデュッセウスの帰還が不可欠と、ペネロペとテレマコスの切なる願いを共有するのだけれど。帰還を描いた「オデュッセイア」には描かれない、ホメロスの戦いの火中、奇襲に見舞われた城内の惨状を目の当たりにしたオデッセウス本人の心境が語られて、詩といった伝承では表に出ない英雄像と、感受性を持つ1人の人間としてのズレというか「差異」が露となって。神に抗う武勇にはやった結果におののきを見せて。後悔や力を振るう事への恐れをオデッセウスに纏わせて、判りやすく創意を込めている様にも写りますけど、この点で判りにくい前作よりも好感触。
「詩で伝わらせたら正確に伝わらないから、文字に残したら」と投げかけるペネロペに大して、オデッセウスが、「文字は無くなるかもしれないから、伝承されて行くのが良い」と答えるのが、ベースとなった叙事詩のあり方に沿っていると同時に、本質というのは、聞こえの良い部分だけが残って、時を経てしまうと知り得なくなる事も暗に含んでいる様にも受け取れて。成功を掴んで、大がかりな映像製作の機会を得ただけでなく、冷静に自身のテーマを込めているあたり、監督は、さすがトップオブフィルムメーカーで御座います。
拙文にお付き合いいただき、有難うございます。
シネマサンシャインららぽーと沼津 IMAX(シアター)にて
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