数年前に、スカーレット・ヨハンソンさんで、月面着陸の中継映像を宇宙政策の振興目的ででっち上げるラブコメがリリースされた時、「ああ、これ昔あった映画をなぞってらぁ」って過ったりしたけれど。その映画は、検索しないとタイトルも出て来ないのだが。
なので、他にラインナップに加えられる理由は定かではないのだが、初公開時からそのタイトルは記憶に焼き付いている「カプリコン・1」が、午前10時の映画祭で取上げられて。その作品自体が、大いに当たった訳でもなく、「大傑作」としてお墨付きも無いし、イケメンの大スターや、オードリー・ヘップバーンの様な時代を超越したファッションアイコン的女優さんの存在もほぼ皆無。ただ、オジサン臭が一杯詰まって埃を被ったこの映画が、シネコンの午前の貴重な上映回のひとコマを埋めて大丈夫なのか。他に、見るべき新作も乏しく。そして、存在は知っていても今の今まで「未見」だったうえに、稼ぎ時なのに動員薄かったらこの企画も廃れてしまうと危機感もあって出掛けてみたら。当時は私同様若く、頭髪も豊かで肌にも皺が少なかったに違いないジジババが辛うじて10名ちょっと集まって席を埋めて動員協力出来たけど。それにしても、映画興行の将来を担う「若い衆」が、全く居ないのは、この企画はもとより映画館の先行きを懸念せざるを得ません。
本作の制作年が1977年で。既に、当時新鋭のスピルバーグさんが「ジョーズ」で台頭して来て、米国本国では最初にお披露目の「スターウォーズ(��)」が公開されて。いわゆるフランチャイズ作品がこの後幅を利かせる様になって、まさに映画界の潮目も変わろうとしていた頃でした。グッズとかを産むマーチャンタイジングや、出版や音楽業界を巻き込むイベント的大作とは縁遠い小品として送り出された、当時珍しくもない類の1本です。
作中の探査対象が月かと思い込んでいたのですが、実は火星探査でした。まあ、70年代ですからアポロからは月日が流れています。チャールズ他2名の火星有人探査船「カプリコン・1」の搭乗員は、探査船を載せたロケットの発射カウントダウン中、極秘に操縦席から降ろされて米国中大陸の砂漠の中に残る廃墟基地に身柄を移される。火星探査の指揮を執るケラウェイ博士から、「生命維持装置の不具合で飛行を見合わせるものの、今後の探査計画を維持していく為に火星着陸の映像を基地で撮って交信ステーションに送って探査をでっち上げる」から協力を要請されるも、チャールズらは拒絶するのだが、拒めば家族が危ないと脅され信念を曲げて火星探査のでっち上げに協力せざるを得なくなる。
その頃、交信ステーションに勤務する友人から、探査船からの情報受信時間の「誤差」が短すぎると懸念を伝えられた記者のコールフィールドは、その友人がすぐさま失踪すると共に、自身にも身の危険が及ぶ。探査船内の乗組員からの中継映像から、チャールズの発言に腑に落ちない反応を見出したコールフィールドは、チャールズの奥さんからの供述に今回の火星探査に潜む「裏側」に思い当たる。と、同時に地球へ大気圏突入する「段取り」に沿って、探査船からステーションへの信号で防護壁パネルが損壊を知らせて来る。
それは、地球帰還カプセルが、大気圏で燃え尽きてしまった事を意味する。即ち、チャールズら乗組員は「殉死」して、存在してはいけないのだ。迫る窮地を生き延びて再び家族の元に戻るべく、置かれていた小型旅客機を強奪するも燃料切れで砂漠に不時着せざるを得ず。基地の方向を除く三方位に別れ独力で逃亡するも、組織が送ったヘリに2名が捕獲され、乾きと飢えも重なり満身創痍のテイで逃げのびるチャールズが手に落ちるのも時間の問題となっていたのだが。
本作が、今回の企画の中の番組構成に組まれたのは、体制が流布するフェイクニュースとそれを受けての行動(反抗)が描かれる事に現代に通じるものを見出しての選択であるのが読めます。
どうも、アポロの月面着陸のTV中継に関しての「陰謀論」があって。それを、未だ実現していない火星着陸にすり替えて、監督のピーター・ハイアムズ氏が、自ら脚本を書いて撮った本作ですが。あと少しで製作50周年に差し掛かる、古典作品ではあります。見終わって、些末な事に顛末の答えを求めそうにもなるのだけれど、火星探査上陸中継をでっち上げる陰謀の前に、乗組員がその渦中から生き延びて真実を世間に証明できるのか、記者のコールフィールドは、身の危険を退けながらスクープをものに出来るのか。緊張の糸を張り続けながら、見る側に、糸口を示し、また、行き詰まりを打開する映画らしい見せ場で緊張を昇華させて2時間をちょっと上回る位の尺で纏め上げる。
ベトナム戦争から、ウォーターゲート事件を経て、政治体制に目を向けなければならない政治情勢を汲んで。社会の関心と商業映画が無関係でないところもそうですが。本作でのタイトな描かれ方から、垣間見られますが。見聞きする事実とか、ふと浮かび上がる疑問に突き動かされるチャールズや、コールフィールドの姿や振る舞いに、観客側もサスペンスものに触れるにあたっての頭脳の働かせ方とか、登場人物への気持ちを乗せる醍醐味みたいなものが慣らされて。そして、他に幾つも作品を享受しながら、見る側の素養を高める、オトナな映画を見る環境が、その頃には有ったのだろうと思いを馳せてしまうのでした。
乗組員のその他二人のうち、1人がОJシンプソンで。その後、彼が辿った道をご存知の方もいらっしゃると思いますが。たまたま、好きで読み返した翻訳小説の中でジョークに使われていたのもあって、何ていうタイミングでの再会。そして、もう一人が、サム・ウォーターストンで、必死に砂漠の崖を這いあがる際に、屋根の上に取り残された猫の事の飼い主への伝え方のお題で、ジョークなのか経験談なのかもやもやする独り言を苦悶の中繰り出すも、悲劇的なオチを自身に付けてしまうという表情同様、顛末は冴えないのだけれど。その後、「キリング・フィールド」でも難民で当時演者シロートのハイン・S・ニョールに助演男優賞のアシストに徹する損な役回りは変わらず。
チャールズ役はジェームズ・ブローリンが担って。名字からすると、今も現役バリバリのあの方かと誤解しかけたのは、ジョシュ・ブローリンのお父さんだったから。でも、この年代、先ごろ、都会で再映された「ジャグラー ニューヨーク25時」とか、割と小品に限られるけど出演作が多かったりして。砂漠の逃亡場面では、さいとうたかお先生が描いた「サバイバル」もどきな、穴倉で毒蛇と喰うか喰われるかの見せ場もあったし。
でも、演者で良かったのは、記者コールフィールド役のエリオット・グルードかなぁ。冒頭、同僚の女性記者に、グチを取り混ぜたかまを掛けてみせるもアッサリあしらわれて私生活でのイケてない部分で同情を引いた後に、NASAの友人からの業務上での不信感のタレコミから、一転して立て続けに覚えのない危機に見舞われるのだけど。
チャールズの奥さんから、聴きだす際には、彼女の身に危険が及ぼすのを避けるべく遠まわしに質問を投げ掛ける気の使い方をして。切り出す際、先の同僚女性との冴えない会話を引き合いに、「やんわりとした聴き方するので」って感じのことわりを含ませる機転の見せ方が、好感度を上げました。
余談ですが、窮地で同僚女性の車を借りるのですが。なんと、赤いフェアレディーZでした。一度消されかけた時乗っていた自身の愛車は、典型的アメリカ製でしたが、同僚女性は「足」にも拘りがあったのか、センスを認めざるを得ません。対照的にコールフィールドが野暮ったいって一端を示しているのかも。
果たして、砂漠をさ迷う乗組員を見つけ出せるのかという不安を抱えながら、コールフィールドの追跡を見守るのだけど。行きあたったのが農薬散布を複合機で請け負う、懐かしやテリー・サバラス氏で、料金をぽったくられるやり取りも小気味良かったのだけど。つい、この前「ミッションインポッシブル」の最終作で、トム様が体を張って複葉機を使ったシークエンスを見せていましたが、半世紀近く前のこの旧作も、見応えでは全く引けを取っていない。と、言うか、編集と設定場面や演者の小気味いいやり取りとか、繋ぎ合わせ方次第では、生身を危険に晒す必要も無いのが証明されました。
しかし、翼に捕まるあの方、必死なんてものじゃないでしょうに。あと、「地獄の黙示録」とか、「ブルー・サンダー」とか、70〜80年代における、ヘリコプターの存在って、いつの間にか迫って来る不気味な権力的象徴にも見えますね。
拙文にお付き合い頂き、ありがとうございました。
シネマサンシャインららぽーと沼津 シネマ5にて
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