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2026年07月19日22:56

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「ヌーヴェルヴァーグ」を見て。〜撮る側撮られる側の「せめぎ合い」から導かれたあのシーンに、映画製作にある奇蹟の瞬間を見る〜

ちょっと前に見たと思って、念のため検索するとゴダール監督と2番目の奥さんを描いた「グッバイ・ゴダール!」も公開から8年経っていたのね。あちらの作品も「アーティスト」でハリウッドのオスカーを貰っちゃったミシェル・アザナビシウス監督作品らしく、楽しく伝説の異才監督の「私生活」をお勉強させて頂きました。

対する本作は、遡るとあの「スクール・オブ・ロック」を監督したアメリカ人監督のリチャード・リンクレイター氏が、1959年に製作された「勝手にしやがれ」(この邦題も、映画自体を超えて我が国のカルチャーに多大な影響をもたらしました)の製作開始前から、関係者に完成作品をお披露目するまでを、「勝手にしやがれ」」に携わる監督、俳優、スタッフや、メガホンを執ったゴダール氏が批評家として属した「カイエ・デュ・シネマ誌」で執筆する気鋭の書き手達や、彼らが敬愛したレジェンド監督や当時を彩った俳優らまで実名で、本人に雰囲気ピッタシな演者を配して、「勝手にしやがれ」の主演の1人であるアメリカ出身のジーン・セバーグが「素」でイングリッシュを喋る以外は、フランス語発声で撮られている。

自分が鑑賞歴を重ねる間に、映画雑誌で見聴きしたり実際に彼らが撮った映画を見て来たりして参りました。現役の「寄せた」役者さんとは言え、本編中、初めて現れる際には、登場セットやロケ地を背景に正面を向いた全身のショットに人物名が添えられて、観客に向けてイントロデュースされるお約束になっていて。記憶や印象の中に名前だけで、輪郭はただ「人形(ひとがた)」のみで頭の中で再現されていた方達が、50年代終わりの新しい波(ヌーヴェルヴァーグ)のうねりに巻き込まれるムーヴメントの首謀者として実体で現れると、見ているこちらも当時の空気感に否応なしに浸ってしまう。

本編を見ている中で、見聴きした事のあるエピソードもあったけれど。その人達が居た場所で、表情とあわせて目の当たりにすると、「こんな感じで語られたりしたワケね」と実感も増して。人的には、作品前半で、批評実践として監督デビューを先に越されたトリュフォー氏のカンヌ映画祭デビューを内心妬みと焦りで煮えくりかえっているのに、カイエ・デュ・シネマ誌の編集部屋で机に向かいながらも、ゴダール氏がネチネチこぼしているのにも目もくれず。同じくタイプ仕事をしながら彼をあしらう、こちらも後に監督デビューするエリック・ロメール氏がその部屋で机を並べていて。同じ穴のムジナであるのは知っていたけれど、映画雑誌作りを一緒に執り行う「図」は想像外だったので。まだ、一角の者になる前の駆け出しの姿を見せて貰えた場面は、個人的に盛り上がってしまって。

あと、「勝手にしやがれ」にも本人役として出ている、暗黒街作品の重鎮、ジャン=ピエール・メルビル監督役の方も、そのギャング映画専科的ダンディーな雰囲気が充分醸し出されていて。そのうえで、見る人の受け取り方に委ねるとか演者の即興、インプロビゼーションに委ねて「本当の人間」を映像に残さねばならないとか、雑誌で映画を散々語り散らかして来たのだけど。その実践として映画創りの世界に侵入しようとする若造ゴダールの表敬訪問を受けて、丁度銃撃シーンを撮ろうとしていたメルビル監督が、撮影現場を闊歩して有難いお言葉を青二才にも真摯に授けつつ、スタッフがうやうやしく持って来た二つの拳銃の選択を示す移動シーンでは、その貫禄を滲ませたうえで、映画製作の理想と現実もさり気なく示していて。メルビル監督の振舞が、カッコ良く映った。

あと、「勝手にしやがれ」の世界観に合わせて白黒発色のうえに、セット使用もあるけれど、見た感じロケが多く、当時の車両や服装を用意するのも大変なのに、50年代の街並みに石畳の自動車道や、地下鉄のホームだとか。もしかしたら、グリーンマットで背景合成を巧みにしているのかもしれないけれど。「勝手にしやがれ」の撮影が始まって、街中のカフェーが、撮影チームの控室同然になっていて。あの店の感じとか、どう見ても50年代パリとしか見えず、結構製作に手間も掛かっていそう。エンドロールのサビで「ヌーヴェルヴァーグ」連呼の歌や、その時代らしくジャズを使った劇伴だとか。単なる、映画史に名を残す作品のメイキング再現映画には留まらない。モデルの映画を知らなくとも、本作で触れられる当時の空気を浴びるだけでも、充分モトは取れると思います。

一見すると、「勝手にしやがれ」が如何にして作られたかに、纏められがちなのかもしれない。「グッバイ・ゴダール!」では、商業映画と決別して監督の映画製作精神論は、先鋭的な独歩を進めてゆくのだけれど。本編でも、場面ツナギとか平気で無視を度々実践しちゃって、雇われたスクリプター(記録係)の女性も、仕事をさせて貰えず、撮影半ばでは映画製作から気持ちが離れ掛けたりして。

フランスに限らず、何処の国でも、お金を用意して世に映画を送って資金回収に努める製作者や会社が製作主導を握る主流の中、部外者のアイデア、発想に根付いた大きな流れに掉さすかの「反動」の働きが時代時代で起こって映画製作の「流れ」が現代に至っていて。映画の受け手に対して、送り手がどれだけの「意志」や「思い」を持っているのか、中々受け取り難く、送る方も受け取る方も、単に「消費」のサイクルを回しているのかなぁって読みが先立ちますが。

初監督のゴダール氏は、お仕着せの映画ではなく、見る人の発想を信じて作り手と表現者の直観を活かす撮り方を貫く。パリの街がどのゲリラ撮影による山場のシーンで、ゴダール氏は、アメリカ人女優のジーン・セバーグにキャラクターの性格に基づいた演技支持を授けるのだけれど。それは、完成した「勝手にしやがれ」には見られない。それまで、文学作品からの引用セリフだとか、その日毎に変わる指示に、プロの役者として嫌気も見せていた彼女が、気鋭若手外国人監督の「製作精神」を汲み取って表現してみせて。

当然、それを採用して「勝手にしやがれ」は完成する。もちろん、本作の製作意図である、ヌーヴェルヴァーグ当時の若き才能の奮闘の一部始終を描いて、モデル作品へのリスペクトの献辞もあるのだけれど。あのジーン・セバーグの件をもって、見る人の心に留まるワンシーンが産まれた過程に、映画製作の奇蹟と神髄を今の時代にあらためて「注入」したかったのかなと勝手に汲み取りました。あの件は、映画作りの現場と製作過程への想いに焦がれた瞬間でした。なので、彼女があのセリフを発するまでは、聴かされてきたエピソードというよりも、この映画オリジナルの「創作」であると思い込んでおります。

拙文にお付き合い頂き、ありがとうございました。
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