自分が映画を本格的に見始めた80年代に、スティーブン・キング氏原作の映画化がコンスタントに世にリリースされて。日本語翻訳された原作本も、まだ作品数も今ほど嵩んでなかったのに。あれから40年近くを経ても、コンスタントに映像化作品が送り出されるところに、作者としての地位の確かさ、そして未だ映像の作り手の意欲を掻き立てている事に敬服いたします。
「グリーン・マイル」は見ておりませんが、TV初放映時では、こけたのに再放送の都度視聴者を増やし不動のコンテンツとなった我が国のアニメーションコンテンツの如く、初公開時から時を経て感動作として世代を超えた支持を築いた「ショーシャンクの空に」に次ぐ、一見、原作者テイストを薄めた感じにも受け取れそうですが。平穏ならざる「前提」が設けられているので、諸手をあげて「人間賛歌」として受け入れようとするなら、何度が「躓き」に出くわす事になるでしょう。
喉の奥に「小骨」が引っかかり、咀嚼した映像が腑に落ちて楽観的な祝福で満たされるというよりも、含んだ「毒気」によって、どうにもならない現実の向うに少しだけ「正気」が差す様なというのが、本作を受け止めた際の自分の印象です。「素晴らしきかな人生」の結論を、ありきたりに人情噺として提示するのではなく、作者の得意範疇をもって語られるので艱難辛苦の道が強いられる。
主人公、御年39歳至ってマジメな硬い職業会計士のチャールズ(チャック)の半生も綴られるのですが。彼の人生に大きな影響を及ぼしたものが、明らかになった時、作り手らしい企みではあるけれど。人それぞれ「砂時計」を抱えて生きているとはいえ、それが、一瞬でも視覚化されるというのは、以後の生き方に相当な「おもり」として圧し掛かるハズ。
片や、明日なんか日々当たり前に更新される人たちもいて。こちらに関しても、舞台となる場所がアメリカの郊外で、まずは、のどかさに包まれるのですが。2月に見た「ブゴニア」が、当初誘拐に纏わるオフビートコメディと見做していたのが、全く思いも寄らない「終点」に導かれましたが。あの中では、天からの「俯瞰」として、登場人物の如く客観的に眺められたのに対して、あれと同じ事が起きている地上の当事者目線に落とし込まされた格好に。
ディザスター的な手の込んだ見せ場は展開せずとも、地上の人達が、夜の静まった住宅街に広がる暗がりの先、まだ微かに見えた灯りが「プッ」って落ちた時は絵空事の範疇を超えて怖さが迫まった。
ちよっと外れますが。「クソ野郎と美しき世界」のエンドロールに流れる歌「地球最後の日」で、稲垣吾郎さんのパートに、「巨大な遊星が地球に落ちて来る寸前、人々が一番好きな人に愛を告げる映画を見ていた。」とあって。あの歌に当てはめるのは、この作品が相応しいのかも。そして、神様は、その郊外に住み人達と、チャックの半生を重ねたのだろうか。
成人となったチャックを演ずるのが、トム・ヒドルストンさんで。他、チャックの年代に相応しい演者が3人居て。なので、作品の尺から、ヒドルストンさんは、メイン人物とはいえ効率的なお仕事をされている様にも見受けられるのだけれど、それはあくまでも私見。
トリッキーな語り口の作品なればこそなのか、シーンの端端にエピソードの「つながり」が仕掛けられていて。そのお陰で、見る方も集中力を保てます。チャックの半生に影響を及ぼす二大要素のうち「会計」の方は、置いておいて。もう一つ、祖母の影響で知った「踊り」は、作り手特性の仕掛けの重さと対をなす、生の歓び、人生の掛け替えの無い瞬間に繋がっていて。
これから伝記映画が掛かる、偉大なポップスターの代名詞ムーンウォークを幼少期に独学で習得した事も、人生晴れの日への「架け橋」となっていたし。その思いがけなく訪れた晴れ舞台での祖母からの影響発揮の場面が、大道芸的に街角でビートを刻む実際にドラマーである女性の即興演奏に火を付けられたチャックが、ステップを刻み始めて。その様子に反応した見知らぬ女性がチャックの誘いに乗って道行く人達が取り囲むダンスシークエンス発展するくだりは、本作のメーンシーンであり、見ているこちらも胸の高鳴りが抑えられないのですが。あとで記事から「ラ・ラ・ランド」を手掛けた振付師の方だと知って納得。
チャックの祖父が、ルーク・スカイウォーカーで、祖母が「フェリスはある朝突然に」のマシュー・ブロデリックの彼女を演じられていたとの事で。その点でも、己の半生に思いを寄せたものでした。
拙文にお付き合い頂き、ありがとうございます。
シネプラザサントムーン 劇場�Г砲�
ログインしてコメントを確認・投稿する