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2024年10月14日22:57

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「ビートルジュース ビートルジュース」を見て。〜女三人あれば、死後の世界が溢れ出て笑っている内に、この世の悩みも潰れる〜

35年前の第1作目の記憶も、おぼろげでありましたが。
公開当時は、名前が知れ渡る前の若手監督の手掛ける長編実写作品2作目にして我が国では初お目見えのうえ、ハロウィンの名称もスラッシャー映画として一部のファンに認識される程度で、今みたいな「行事」として根付いておらず。本国で当たったからウケるんじゃないのって軽いノリで正月映画として公開も、奇抜さや不安感を打ち出したかの監督独特の「表現主義的」ビジュアルを受け入れる寛容さも無かったうえに、主役の存在自体から作品の基調がジョーク主体で、笑って新年を迎えるといった暖かい雰囲気には程遠い埋まらない席に漂うすきま風が身に染みる場内の雰囲気だった。

時が経ち現代にあっては、育成として名もなき新鋭監督による意欲作を作るよりも、名の在る過去作を「再生」が、そこかしこに現われておりますけど。作った本国ではともかく、作品自体はあまり「爪痕」を残せていない作品の延命というのは、如何なものかと眉にツバしていたものの。隔てた長き年月が、作り手側と見る側の半生を省みるのにイイ感じに作用しているお陰で、くり返される「おバカ騒ぎ」にも筋が通っていて、シッカリと楽しむ事が出来ます。

製作会社のワーナーは、当初配信オリジナル作のつもりだったそうですが、作り手側の奮闘が実を結び、こうしてスクリーンに広がるティム・バートンならではのビジュアルに繰り広げられる、座長のマイケル・キートンはじめ、チラっと顔を見せる大ベテランまでバチっとハマった怪演と、過ごした年月のお陰で判るギャグやクスグリに笑わせて貰って楽しいひと時が過ごせた。

宣伝では、監督の現パートナーでもあるベルッチ姐さんが扮する、ご年齢の割に妖艶な様子もチラっと覗いて自慢されている節と受け止めたとて、こっちも悪い気はしない元妻が復活。彼女から逃げたい白塗りメイクで年季も隠せてご無沙汰感も疲れも感じさせないМ.キートンさん扮する死後の世界の人間怖がらせ屋のビートルジュースが、現世で唯一彼の存在を知るウィノナ・ライダーさんのリディアとハロウィンの夜、人間界に居付くため結婚しようと企むのが粗筋として伝えられておりますが。

本作でスポットライトが当てられているのは、リディアなのである。元々霊感が人より強いが為に、あっちの世界の変わり者ビートルジュースと面識が生まれて。彼女自身が風変わりだって自覚故に、親や世間から距離を置いてトガっていたのだが。この2作目までの間に、環境運動家の夫と死に別れ、テレビ製作者の男が近づいて来て、何とも胡散臭いバラエティ番組でリディアは霊力の片鱗を発揮し「金づる」として大事にされて何となく一緒にくらしているのだが。現実世界で、正しい行いの為反対を貫いていた亡き父を尊敬する新顔のジェナ・オルテガさん扮する娘のアストリッドにしてみると母リディアは、それこそ存在がフェイク同然で疎まれていると云う。思えば、自分が娘の頃、キャサリン・オハラさん(ホームアローンでカルキン君のお母さんだったのですね。) 扮する母デリアにあたっていた事が、そっくり母となったリディアに返って来て、デリア母さんの当時の苦労を改めて知る事となる。

その母といえば、イイ歳をして一端の芸術家を気取って「個展」なんか開いて老後を謳歌し、中高年クライシスにドはまりのリディアと違って吹っ切れている。アストリッドは、寄宿学校に入っていて、3人とも、別々の生活を送っていたのだが、リディアの父つまりはデリアの旦那が、飛行機事故で墜落ののち鮫に喰われて死亡したのを機に、実家のゴーストハウスにして、ビートルジュースを呼び出してしまったあの実家でリディアは、母と娘と再会するのが発端となる。故郷で、アストリッドが「霊絡み」の騒動に巻き込まれたのを機に、お騒がせ屋との腐れ縁に頼りつつも、リディアは自力で、あの世に連れていかれた娘を呼び戻そうと奮闘して向き合ううちに、母と娘は互いの理解を深めて行く。

この様に、表層的には白塗りのオジサンが引っかき回す「狂騒的」な一過性のキモカワコメディのところ、人間の登場人物の悩みと成長といった筋が通っている分、カルチャーギャップから来る興味半減とかも無く見られて。1作目の伏線回収的なものも、殆ど皆無なので気にせず見られます。前作で、ビートルジュースが、人間に強要するミュージカル的シークエンスで流れる「バナナボード」が、まさかの場面でリフレインされていましたけど、聴き流しても大丈夫じゃないでしょうか。

ここまで、深くは無いけれど確かな作品の「芯」への言及に字数を費やしてしまった。

不安感やら抱えた暗部まで、先鋭的に表す表現主義的かつ画になるスタイルでデザインされた独創的な監督のビジュアルが、悪目立ちすることなく先の話と相まって活かされていた。死後の世界の屋内セットも、いびつな廊下の線だとか沢山予算をつぎ込んだ訳でもないけどあっちの世界と納得出来る作り込みだった。そこに集まる輩も、それぞれの「死因」がはっきりわかる体裁をデジタル画像で重ねるのではなく、モデルへのメイクやゴム製の着ぐるみだとかアナログなお手製なのが、作り込み感が見て取れて感じ入ってしまう。

調べるとリディアのお父さんを演じた方は、「大人の事情」で活動制限があったらしく。なので、「天に召されるまで」の状況回想はパペットによる再現で、死後の世界では鮫に喰われて、上半身が無い、体が輪切りにされ歩行機能だけが残ったテイで現れて。見ている間は、事情を知らなかったので、あまりのゾンザイな扱いに同情していたけど。でも、死後の世界に踏み入った肉親女性たちに、即判別されていたのは、出来得る限りの「親愛」の現われかも。

アニメーター出身だけあって、ギャグ場面なんか、短いカットの切り替えや遠近感を使ってビートルジュースが仕掛ける行為も、殆ど向うのドタバタ風カートゥーンアニメ的な表現に加えて、既にベテラン俳優の域に自分が居る事を控室に置いて来たかのМ.キートン氏の振り切った表現。アート系作品で、割と見かける機会が多くなったウィレム・デフォーさんも、死後の世界の治安を守るウルフ刑事として、「お遊び」を楽しんでおられる様子。「リアルで、なければ」のモットーが言葉尻に添えられるけれど、「沈黙シリーズ」で知られるあの方を、引き合いにしているのでしょうか。バートン監督によるバットマンで、悪役ペンギンを演じた、あの方が死後の世界の清掃人に扮していて、サプライズ。妖艶なベルッチ姐さんは、口から生気を吸い取って、相手を機械に掛けたみたいに圧縮させて。スペース・バンパイアの再来襲って感じ。

1作目と同じように、ハロウィンの夜の結婚式がビートルジュースによって歌劇風に仕立てられて、それもまた楽しい場面だけれど。「バナナボート」に比べると、意外性は乏しいか。そのかわり、死後の世界からあの世に旅立つ「乗り物名」が、黒人音楽を扱ういにしえのテレビ番組名に引っ掛けていて。構内に鳴り響くのが、そのテーマ曲ってのが振るっていた。バラバラにされていたベルッチ姐さんが、工事用ホチキスを自ら起用に扱って張り合わせる際のBGMとか、ウン10年振りにリディアと顔を合わせて、ビートルジュースがギターを持ち口パクで、リチャード・マークスの歌でアピールする場面だとか、歌ネタでも気を惹かれて楽しいったらありゃしない。

死後の世界から、お騒がせな男を呼び出す時は、その名前を3回唱えるのですが。この2作目のタイトルが「ビートルジュース ビートルジュース」なので、あともう一回が有るんじゃないかって期待してしまう。できれば、スタッフ、キャストに見る我々も元気なうちに実現してほしいっス。

拙文にお付き合い頂き、ありがとうございました。
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