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2023年11月20日01:36

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奈良ホテルで食すフレンチコースと錦秋の装い世界遺産絶景吉野山(2)

さて、バスは吉野山に向かいます。吉野山と言えば桜ですが、今の季節は紅葉…のはずですが、まだあまり色づいていないらしい。暖かすぎたんですね。
奈良ホテルを見たので、「第一目的は果たした」ということで、吉野山に何があるのか何も調べず行動予定はノープラン。

そうしたら、添乗員さんが吉野山エリアマップを配ってくれて、バスの移動中に詳しく解説してくれました。添乗員さんは「添乗員」なのでガイドなどはせず現地では自由行動です。
駐車場のある所からひたすらまっすぐ進んで行ったら吉野山の主要な見どころが見られるそうです。しかし吉野山は奥が深い。駐車場のあたりは「下千本」で、そこから登って行って「中千本」「上千本」と続き、さらに「奥千本」と続きます。しかしこれはもう1日がかりのハイキングコースです。今回の散策時間ですと、マップに印が付いているのですが、世界遺産の金峯山寺(きんぷせんじ)と吉水神社あたりまでが限界だそうです。それ以上行くと集合時間までに帰って来られなくなる恐れがありますのでお気を付けください。
金峯山寺にある蔵王堂は秘仏の蔵王権現が御開帳中です。興味のある方はご覧になったらよろしいですが、1600円かかります。高いです。…はい、たしかに。
金峯山寺の仁王門は現在修復中でカバーが掛かっています。あしからず。

ということで、バスの中でスマホで金峯山寺と吉水神社を検索してみました。
そうしたら、金峯山寺はいくつもお堂があって仏像があるらしい。蔵王権現は値段で悩みますが、まあ蔵王権現はあまり趣味ではないし、豊臣ぐらいの時代なので、仏像としてはそれほどまでして見るほどではないかも。なのでほかのお堂を回ろう。

吉水神社は、もと吉水院と言うお寺でした。しかし明治の廃仏毀釈で神社に変えられました。このお寺も多分に漏れず神仏習合してたんですね。さらに、ここには南朝時代後醍醐天皇が逃れてきて皇居を定めたとか。なので後醍醐天皇を祀る神社があるのです。さらに、後醍醐天皇に仕えた楠木正成も祀られています。そのほか、源義経が源頼朝に追われて吉野に逃れてきた時、静御前と弁慶と共にここに隠れ住んだとか、豊臣秀吉が花見の宴を開いたとか。

だったらこの二つを攻略しよう。

ということで、吉野に着きました。添乗員さんの言うには、駐車場の入り口のあずまやに名物猫がいるという。御年13歳になるお年寄りで、おとなしくていつもじっとしているとか。ということで、まずは猫ちゃんに会いに行く。「にゃん丸」という名前でリードにつながれています。段ボールのおうちもあります。隣の売店の猫ちゃんだそうです。か、かわいい。なでさせてもらいました。

さて、吉野山を登って行きます。山なので登り道です。私は普段は運動不足ですが、旅行の時はたいてい歩き倒します。さらに、山奥の大学で鍛えられたので、坂道にも強いです。なのでこれぐらいの登り道ならすたすた歩きます。そうしたら、赤い欄干が見えてきました。ここは後醍醐天皇の皇子が戦ったときの激戦地だそうです。
さらに進むと、「黒門」が見えてきました。金峯山寺の総門でもあり、吉野山全体の総門でもあります。広くない道の道幅いっぱいに柱が立っているような、素朴な門です。さらに進むと大きな銅の鳥居が見えてきました。これも金峯山寺に詣でるための鳥居ですが、お寺に鳥居?

鳥居を過ぎると向こうの方にでっかーーーーい仁王門…のカバー。ものすごい大きいです、カバーには「金峯山寺仁王門修理工事」と大きく書いてありました。これだけ大きいと、見られないのは残念です。金峯山寺にはこの門の裏側に回って入ります。ここで所要時間を確認しました。そして金峯山寺には入らずに吉水神社に向かうことにしました。といいますのは、金峯山寺と吉水神社がどれぐらいの時間がかかるのかがわからないと所要時間が読めない。なのでここまでかかった時間と、ここから吉水神社に行ってかかった時間を測ったら、吉水神社に着いてからどれぐらい滞在できるか残り時間が読めます。

ということで先に進みます。お土産屋さんやお食事処がいろいろ両側に並んでいます。おしゃれっぽいカフェもあります。お土産は吉野葛のお菓子色々と柿の葉すしが圧倒的です。

吉水神社に着きました。鳥居の横に石碑が立っていて、正面に「吉水神社」、横に「南朝皇居舊趾」と刻まれています。鳥居をくぐって進んでいきますと、長い階段が。ひたすら上ります。
登り切ったら神社の門がありました。そこから入ります。そうしたら、右手が山を見渡せるようになっていて「一目千本」という札が掛けられています。どうやら桜の季節になったらここから千本桜が一度に見られる、ということらしい。

吉水神社はもとは吉水院といって、役行者が修験道の僧房として開いたのが始まりです。先ほど述べたように、源義経が隠れ住んだところでもあり、その部屋が残っているそうです。
その後南北朝の時代になって、後醍醐天皇が吉野に皇居を定めました。これが現在に残る書院作りの建物です。私は南朝の皇居と知って、「おお〜〜」と思うものがありました。

といいますのは、現在読んでいる新聞の連載小説が楠木正成の長男、楠木正行(まさつら)を主人公にしたものだからです。そして正行の代では天皇は後醍醐天皇の息子、後村上天皇になっています。しかも今ちょうど楠木正行が後村上天皇に拝謁している所なのです。そ、それはもしや二人の対面はここで行われた?!?今自分がそこにいる!…というのは、歴オタにはたまらない現象です。いや、私日本史知らないから、小説の出来事がここで行われた…と言った方がいいか。小説の中のあれやこれやが起こったのはこのあたりなのか。南朝が吉野に行宮を設けたということが実感として迫ってきました。…やっぱり歴史の感慨に戻る。

だってねえ、日本史には興味がないはずなのに、歩きながら碑文とかお寺とか祠とか見つけたら写真を撮ってしまうんです。周りの人たちは山深い景色を見たり、花が咲いてると言っては写真を撮っているのに。これはもう歴オタの性だなと思いました。
しかし、書院に入るには入場料がいります。時間を見ますと、回って回れないことはなさそう…ですが、入場料を払ってまで見るべきか。
悩んだ挙句、結局外から見える所だけ写真を撮るだけにしました。
あとは後醍醐天皇を祀った社殿と楠木正成を祀った社殿があって、ここは無料エリアなので写真を撮りました。

(つづく)
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