・1574年武田勢は攻めに転じ、高天神城が武田に落とされる。翌年、1575年、武田勝頼は亡き信玄の3回忌を終え、信玄の遺言通り、勝頼の思い通り攻める。そして勝頼はターゲットを岡崎城に定める。
・岡崎城内では謀反の動きがあり、家臣ら一部が武田側に寝返る連判状に署名する。
・浜松城の徳川家康は武田勝頼が岡崎城を攻めようとしていることを知り、岡崎城へ向かおうとしたが、熱で倒れる。
・岡崎城の松來信康は武田勢が足助城を攻めている知らせを聞き、出陣の準備を進める。
一方、巫女のかっこをした千代がある神社に花びらを供える。その後、クーデターの首謀者がその神社に立ち寄り千代の指示書を受け取る。
・その夜 岡崎城にてクーデターが起き、首謀者は松來信康を討ち取ろうとするが、すでに信康側はクーデターをクーデター側の一人が企てを事前に築山御前に知らせたため、クーデターは失敗に終わる。
・翌朝 武田勝頼は岡崎城から狼煙が上がるのを待ったが、狼煙は上がらず、作戦は失敗に終わったことを知り、次は徳川家康をおびき出すために、三河吉田城付近に兵を進める。
・徳川家康は元気になり、井伊虎松と対面する。家康はなぜ武田につかず、徳川についたのか聞くと、虎松は徳川は民を大事にし、井伊谷を守るためには徳川につくべきというのが答えであった。そして家康は虎松にこれより勝頼と戦をするのでともに戦うことを命じる。
・その後、徳川家康は三河吉田城に入り、武田勝頼と応戦する。しかし、勝頼はその後、
長篠方面に兵を引く。勝頼の狙いは家康を長篠に誘い込むことであった。
・築山御前は家臣にお寺に花を供えるよう頼む。実はその花には千代あての手紙がついて
いたのだった。その後、千代は築山御前の誘いにのり築山御前のもとを訪れる。築山御前はその後千代に近づく。
(感想)
・武田勝頼は武田信玄にひけをとらない優れた武将として描かれていてよかったです。
・武田勝頼が岡崎の松平の家臣を使い、岡崎城内で松平信康を討ち取ろうとするシーン、
おそらく史実なのでしょうね。
・井伊虎松は徳川についたようですね。家康と虎松の対面の会話のシーンよかったです。
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