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2023年04月01日01:24

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「ひとたびはポプラに臥す」

「ひとたびはポプラに臥す」全3巻
宮本輝:著 集英社文庫

昔出た本が文庫の新装版で出たという本です。新刊として本屋さんに並んでいるものだから手に取ってしまった…。

著者は27歳の時鳩摩羅什のことを知ったと言います。4世紀の亀茲国(クチャ)の僧侶で、母は亀茲国王の妹、父はインド人。インドへ留学して仏教を勉強しました。その後、前秦の呂光が亀茲国に遠征してきて鳩摩羅什を捕え、武威に長らく拘留されました。さらにその後長安へ移され、膨大な仏典の漢訳に携わりました。その訳文は名訳と言われ、中国に広くいきわたって日本にも伝わりました。

鳩摩羅什の訳業なくして仏教の隆盛はなかった…そのような偉業を成し遂げた人物とはどんな人物だったのか。鳩摩羅什がたどった道を自分もたどってみたい、と思うようになったと言います。

機会を得ないまま20年が過ぎたころ、北日本新聞社の社長と話したときに鳩摩羅什の話をしたら、鳩摩羅什の道をたどる旅をしてみないかという提案を受けたそうです。大変な道のりでもあり、また著者は体が丈夫でないこともあって躊躇しましたが、結局新聞社の全面バックアップで行くことを承諾しました。そして記者と写真家をつけてもらい、そして秘書と次男を伴って6700キロの旅に出たのです。1995年のことでした。

で、なにしろ鳩摩羅什なもので、そのルートが私にはなじみのある慕わしい場所ばかりなので、読んでみたいと思ったわけです。
まず飛行機で西安へ行きます。そこから自動車で甘粛省、新疆ウイグル自治区を通り、そこからパキスタンへ入ります。全部自動車で進む…すごい。
日本人一行のほか、現地で通訳ガイドが付きます。

しかし、西安を出た途端困難に遭います。
まず交通事情の無秩序さ。中国だから仕方ないんですが、歩行者も自転車も好きな所を好きなように平気で車の前を通る。一行を載せた運転手もクラクションを鳴らし続けながらスピードを緩めない。このあたりはもう「中国あるある」で、情景が浮かびます。さらに、道路事情が悪く、工事にでも当たれば通行止めで進めなくなるという。

そして腹下し問題が起こります。生水を飲んだつもりはないのに、みんなおなかの調子が悪くなっていきます。食器を洗ったときに残っている水滴が怪しいらしいと思い至ります。そこで食器をいつも拭くようになります。しかも料理はにおいが強く、油もクセが強い。そして食堂に入ると蠅がびっしり。
果物も切ってあるものはダメ。包丁についている水滴が問題。そういえば、私も敦煌あたりでそれを言われましたね。切って売っている果物は食べるな。と。
工事で足止めをくらい、牛の行列に何度も遮られ、夜遅くにようやくホテルに着いたらホテルの部屋にもなにかしら匂いが染みついています。

甘粛省にはいるあたりですでにこの調子で、一行はすっかりぐったりしてしまいました。

それでですね、私が思うに、このルートを行こうという計画はしたものの、地図を見て計画したもので、現地事情をあまり考えていなかったんじゃないかと。地図で道路をたどってこういう風に行けばいい、と思えば行けそうな気がするんでしょうけれど、中国という国のトンデモなさがわかってなかったんだろうなー、と。とにかく日本基準が通用しない、日本ではありえないことが平気で起こる。想定外だらけ。それを考慮に入れていなかったのかもしれない、と思いました。

さて、甘粛省には主要都市が四つあります。前漢の武帝が匈奴を倒してこの地を手に入れた時に置いた郡県が東から武威、張掖、酒泉、敦煌です。鳩摩羅什は武威に長らく捕らわれていました。しかし今鳩摩羅什の足跡をたどるものはほとんどありません。記念塔が一つあるそうですが、それは今では刑務所の中。ガイドさんが入れるように手配してくれましたが、入ってみると銃を持った看守とみじめな囚人の姿にやりきれなさを感じて、いたたまれなくなってすぐに退散してしまうという結果に。

だいたい鳩摩羅什は4世紀の人です。その人にまつわる場所をたどるにしても、はっきりとした根拠のある場所は少ないです。宮本氏は関連のありそうな場所をピックアップしてきましたが、どこも現地で聞いてもなかなかわからないような場所だったり、たぶんこのあたりかも…といったあいまいな情報しかなかったり。

しかも、宮本氏は鳩摩羅什のいた所は見たいけど、遺跡には全く興味なし。敦煌莫高窟でも、クチャのキジル千仏洞でも、鳩摩羅什のいた時代に作られた窟はどこかと聞いて、そこだけ見たらあとは見る気がしません。…もったいない!!敦煌では鳩摩羅什のいた時代のものはほんの草創期で、最盛期の唐代の壁画や仏像の豊饒さに関心を持たないなんてー。

そもそもはこのルートは遺跡の宝庫で、いっぱいいろいろ見る所はあるのですが、連れて行かれても本当に興味を持たないんです。拒絶しているのではなくて、本人がそういったものを見ても興味がわいてこない、心が動かないと告白しています。エジプトへ行った時も、王家の谷や壁画や彫刻を見て専門家の説明を聞いてもこれといった感銘を受けなかったと言っています。
そういう人がいるんですね…。なら仕方ないか。

一体に、こういった場所へ行く人と言うものは、歴史や遺跡が好きな人(私だ)か、秘境が好きな人だと思います。そういった素養なしにこの旅程をこなすのはやはり大変だったろうと思います。

さて、新疆ウイグル自治区へ入りますと、ルートはトルファン、コルラ、クチャ、アクス、カシュガルとたどっていきます。私が逆ルートでたどった行程です。
さらにカシュガルから日帰りでヤルカンドへ行って、カシュガルに戻ったら中巴公路(巴=パキスタン)を進んでタシュクルガンへ行き、そこからパキスタンに入ります。

新疆ウイグル自治区にはいると暑い。特にトルファンは暑い。そして食事はイスラム圏のため羊が出るようになり、これまた匂いが鼻につく。

しかし、クチャに着きますと、ここはかつての亀茲国だった所なので、鳩摩羅什の足跡もたどりやすくなります。まずスバシ故城へ行きます。鳩摩羅什が幼いころから存在しているので、子供の時に参拝したこともあるでしょうし、僧になってから説法をしていたこともあるでしょう。「高僧伝」には「雀梨大寺」と書いてあります。しかし、近年「雀梨大寺」とはキジル千仏洞の方だという説が唱えられるようになりました。そこで、キジル千仏洞へ行った時に所長に聞いたら、所長もキジル千仏洞が雀梨大寺だというのは確実だということでした。

鳩摩羅什は膨大な漢訳仏典を残しました。しかし日記や自分の身辺のことなど何も書き残しませんでした。それで、鳩摩羅什が何を考えていたか、何をしたか手掛かりがあまりにも少ないことを宮本氏は嘆きます。それは仕方ないですよー。4世紀の人ですもん。日記なんか書きませんよー。そもそも筆記用具は貴重品。文字は記録をするためにあるもので、身辺雑記など書くことはまずありません。玄奘だって「大唐西域記」に訪れた国のデータを細かく記録していますが、自分のことは書いていません。その代わり後に弟子が玄奘伝を書きましたけど。

さて、宮本氏はクチャで見かけた小さな村に興味を持ち、見学をします。そこには昭和三十年代の日本を思わせるような生活の風景がありました。
さらに、夜にクチャ歌舞団の舞踊を見ました。最初は余興のようなものだろうとたかをくくっていましたが、実際に舞踊が始まると鍛え上げられた歌と踊りに気概と誇りを感じるものでした。
その夜、宮本氏は「俺は今クチャにいる」という幸福を感じたと言います。よかったですねー、大変な思いをしてここまで来て、ようやく幸福を感じられるようになって。

で、クチャまでたどり着くのにこれだけ大変な行程をこなしてきたんですからここで旅を切り上げてもいいんじゃないか、と思うんですが、旅程はパキスタンまで延びています。といいますのは、鳩摩羅什はインドへ留学へ行ったのですが、その時通ったガンダーラ地方も見たかったからです。

パキスタンへ入りますと、五千メートル級の高山地方に入り、フンザに着きます。「桃源郷」と言われている所です。ここの峰々の美しさ、夜の星空のきらびやかさは心を打つほど素晴らしい。

しかし、ペシャワール博物館の所長を務めていたという案内人は、ガンダーラ遺跡には詳しいのですが、鳩摩羅什のことを知りませんでした。ほかの人にも聞いてくれましたが、知っている人はいません。ペシャワールに着くと、博物館に案内されてガンダーラ仏やヘレニズム文化の説明を受けますが、結局そういったものは興味がわかず。

歴史に詳しくない人がシルクロードを旅行して中途半端に歴史の話を語ると鼻白む思いがすることがありますが、これだけ「興味がわかない」で通されるといっそ潔い気がしてきました。

さらに、この紀行文では著者の回想がおりおりに挟まれます。時系列はバラバラで、作家になろうと決心して会社を辞めた時のこと、子供の時の思い出、両親のことや自分が育ってきた境遇のことなど。しかも宮本氏は兵庫県出身で、話す言葉は関西弁。阪急梅田駅を通って通勤していたそうです。

そして、旅行中に心に浮かんだこと、感慨などを表すのに古典や詩や文学作品をよく引用していること。それも非常に多岐にわたりさすがに作家だけに文学に対する造詣が深いものだと感心しました。引用するだけではなく、それらの文章に関する説明や背景も書かれます。

鳩摩羅什のこともよく調べています。思いつく文献を片っ端から読んだようです。白鳥庫吉の「西域史研究」まで読んでいます。なので各地での鳩摩羅什に関する記述は全てこれらの本で学んだことをもとにしているので詳しくて正確です。
これだけ調べる意欲があるのに、歴史に興味ない、遺跡に興味がわかない、というのが不思議なぐらいです。

ということで、普通ならできないようなものすごいルートを旅行して、めったにない体験談に彩られた紀行文学が出来上がったこと、これがこの旅行の成果のようです。

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