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2023年01月20日01:25

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「ミュージカルの歴史」

「ミュージカルの歴史 なぜ突然歌いだすのか」
宮本直美:著
中公新書

こういうタイトルの本なら買ってしまいますね。

テレビや映画ではNGMが流れていて、盛り上がる場面に役に立っているのに、それが登場人物が歌いだすとなぜ違和感を感じるのか。
最初にこういった問いがたてられ、ミュージカルにおける歌の役割を解き明かしていきます。

そうして、そもそもミュージカルの始まりとは…と、歴史をさかのぼり始めます。
古代ギリシア劇には「コロス」がいた。
16世紀ごろヨーロッパではオペラが誕生した。そのオペラは時代と共に発展していく。19世紀になると、市民の娯楽として「ポピュラー文化」になっていく。そうして「オペレッタ」が誕生する。
パリではオッフェンバックが、ウィーンではヨハン・シュトラウス2世やレハールがオペレッタの人気作品を生み出していき、気軽な娯楽として人気を集めていく。
それとは別に、ロンドンでは「バラッド・オペラ」と言われる、庶民に人気の音楽入りの芝居が人気を集めていた。

オペレッタやバラッド・オペラはアメリカに渡り、ミュージカルの土壌となっていく。

ここまでが「前史」ですね。

そのころのアメリカではヴォ―ドヴィルショーやバーレスクショーが生まれていきます。
いずれも歌やダンスや寸劇などの短い場面を寄せ集めたもの。旅芸人の一座が旅回りをすることもよくありました。
さらに、パリからレヴューがやってきて、それをさらにスペクタクルなショーに発展させた「ジーグフェルド・フォーリーズ」といったシリーズが生まれます。

さて、ミュージカル草創期に活躍した人で、ブロードウェイの父と呼ばれるジョージ・M・コーハンがいます。芸人一家に生まれ、歌やダンスや寸劇で構成されたショーを持って旅回りをしていました。コーハンはやがてブロードウェイで話の筋がある舞台を掛けるようになります。「リトルジョニー・ジョーンズ」がその代表作です。コーハンの伝記映画「ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ」でその活躍を垣間見ることができます。

一方で、正規の音楽教育を受け、ヨーロッパのオペレッタの系譜になる音楽入り芝居を作る人もいました。ヨーロッパではオペラよりも一段低い娯楽作と見られたものが、アメリカではヨーロッパの香りを感じさせる上品な舞台と見られたのです。

よくミュージカルの歴史が語られるときに最初のミュージカルは1866年の「黒い悪魔」だと言われます。一応ストーリーらしきものはあるものの、ダンスガールや豪華な舞台装置や衣装を当時の流行歌を取り入れて見せるようなものでした。この時から「ミュージカル・コメディ」という名称が生まれました。
そうしてジーグフェルド・フォーリーズのような全く筋のない単独場面の寄せ集めの舞台と、ある程度筋があってそれを歌やダンスでつないでいくものとがそれぞれ上演されるようになっていきます。

その頃の興行のポイントは、人気スターが出るかどうかでした。スターが歌った歌を聞いて、人々は20世紀初期までは楽譜、1920年代ごろからはレコードを買うようになりました。劇中のナンバーが単独で「ヒット曲」になる…というのはミュージカルの初期における顕著な現象です。ポピュラー・ミュージックの黎明期とミュージカルの舞台は密接に結びついていました。

そうしてミュージカルの歴史にとって重要な作品が生まれます。1927年の「ショーボート」です。
これは、エドナ・ファーバーの小説を原作にしており、ミシシッピ川で船に乗って移動してショービジネスを行う一座の年月の移り変わりを描いたものです。多様な登場人物、運命の変遷などしっかりとした物語を備え、音楽によって物語の状況を表現していくことで、本格的な「ミュージカル」が誕生したと言える作品になりました。
こうした形式のミュージカルはブック(台本)・ミュージカルともいわれます。

ただ、こうした形式のミュージカルは、高度な作曲技法を必要としたため、その後も豪華レビューや楽しいオペレッタ風ミュージカルも並行して作られ続けました。

その後の画期的なミュージカルとしては1943年の「オクラホマ!」が挙げられます。「ショーボート」で作詞を担当したオスカー・ハマースタイン2世が、作曲のリチャード・ロジャーズと組んで発表した作品です。この後このコンビのミュージカルが続々と誕生し黄金コンビと言われました。
物語と音楽を結び付けたミュージカルは次々と作られていき、単独でヒット曲となる曲よりも、劇中で効果を発揮するように、芝居の内容と密接に結びついた曲が作られるようになっていきます。「ガイズ&ドールズ」(1950年)などは、評判になったヒット作ではありますが、ヒット曲は生まなかった、ということが書いてあります。(宝塚で上演されたら「初めての恋」が宝塚の名曲と言われる歌になりましたが)。

こうした作品の頂点ともいえる名作が1956年の「マイ・フェア・レディ」。
そうしてクラシックの作曲家、レナード・バーンスタインによる高度な音楽性を備えた、私から見たら「完璧な」ミュージカル「ウエストサイド物語」が19557年に誕生。ソンドハイムの詞、ジェローム・ロビンスの振付、という稀有な才能のコラボです。

こうしてミュージカルは黄金期を迎えました。

この本では、この一連の流れの中で「突然歌いだす」現象の発生について、折々に述べています。ショー場面のつながりでは「突然歌いだす」ということにはなりません。歌を聞かせるのが目的だから。物語が入ってくると、登場人物がセリフを言っていたのに突然歌いだす。それをいかに自然な流れに乗せるか、と言う問題が発生するということです。そうして「自然に流れ」に持って行くためにどんな工夫があったか、登場人物や場面に沿った歌や音楽をどう結び付けていくか。

さて、黄金期を迎えたミュージカルですが、頂点を極めると落下が始まります。
それまでは単独ヒット曲を生むなど音楽界を牽引する役割をも持っていたミュージカルですが、1960年代ともなると音楽界の状況が劇的に変化しました。ロックンロールの誕生であり、ビートルズの誕生です。さらにマイクとアンプの使用がライブの現場をも劇的に変えます。
そしてさらに、黄金時代のヒットミュージカルを作っていったアーティストたちが高齢化していき、ロックンロール世代とジェネレーションギャップが生じていきました。
「ポピュラー音楽」が世代による断絶に見舞われたのです。

その中でロック音楽を使ったロック・ミュージカルも作られました。「ヘアー」や「ジーザス・クライスト・スーパースター」です。そしてこの時問題になったのが、電気音楽を劇場に持ち込んだ時の音響調整す。「ジーザス・クライスト・スーパースター」の時は、電子楽器もオーケストラも使われました。そうすると音量が大きくなりすぎ、演者の声が聞こえなくなります。ミュージカルなので、歌詞がきちんと伝わらなくてはいけません。しかも当時はまだワイヤレスマイクは未発達だったので、やむを得ずスタンドマイクやコード付きハンドマイクを使ったということです。
これ以降舞台ではサウンドデザイナーという存在が必要なものとなり、声や音楽の音響を調整するような技術の開発が求められるようになりました。

「ジーザス・クライスト・スーパースター」の作曲家、アンドリュー・ロイド・ウェバーはその後「キャッツ」というヒットミュージカルを出しますが、このころになると出演者が皆ワイヤレスマイクを装着できるようになっていました。だからこそあの猫たちが自在に動きながら歌えるようになったのです。

しかしミュージカル全体がロック・ミュージカルと化したわけではありません。むしろミュージカル界は音楽にヒット曲を提供していた時代から大きく変わっていきました。音楽シーンとミュージカルの名曲は別々のものになっていったのです。

私の印象では、1970年代のブロードウェイは方向性を求めてバラバラになっていたように思います。先鋭的な作品もあり、ノスタルジックな作品もあり。しかしかつての黄金時代のミュージカルのような国民的ヒットと言える大作は出ません。

この本ではアンドリュー・ロイド・ウェバーが構築した「メガ・ミュージカル」がその後のミュージカルの方向性を決定づけたように書いてあります。
アンドリュー・ロイド・ウェバーは「ジーザス…」の時に自分自身で音楽をコントロールできなかった反省もあり、自分が作った作品を自分でプロデュースしたいという願望を持ちました。そこで考案されたのが「フランチャイズ方式」です。

私見ですが、これはウェバーがロンドンで活躍していたということもあるかもしれません。ロンドン・ミュージカルはまだそのころはブロードウェイにかないませんでした。ブロードウェイで成功してこそ認められるのです。そのためブロードウェイでも演出やセットや衣装も全く同じものができるようにしたのではないかと。
ともあれロイド・ウェバーによって、世界で上演されても皆同じで、ロゴやイメージビジュアルも同じ、という作り方が考案され、フランチャイズ化、グローバル化が進んだのです。

すごいな、ロイド・ウェバー。

この「フランチャイズ方式」のメガ・ミュージカルに倣って「レ・ミゼラブル」も「ミス・サイゴン」も作られました。

これらの作品は全編がほとんど歌です。それまで全部歌、というミュージカルはありませんでした。
全編通して音楽で盛り上げ、スペクタクルな演出が取り入れられ、外国人観光客にもわかりやすくなり、そのためミュージカルの観光化、グローバル化が進みました。

さらにその後、ディズニー攻勢が始まります。ディズニーアニメが次々とミュージカル化されて、ますますグローバル化が進みました。

ここからは章を改めて、ミュージカルにおける音楽の使われ方を分析していきます。初期のミュージカルの音楽のあり方、そしてメガ・ミュージカルに至るのにどういった変化があったか。

そして終章では、「語るように歌い、歌うように語る」という言葉で俳優の技量が評価され、より自然にセリフと歌がつながっていくという状況になっていることが言われます。

この本は、単にミュージカルの歴史をたどっていくというより、ミュージカルにおいて音楽がどういった役割を果たしたか、技術面もですがポピュラー音楽の発展史とからめて書かれている所がとても興味深いです。各時代の作品を思い浮かべながら、ああそういうことか、と納得するところが大いにありました。

さらに、あとがきでは時節柄コロナ禍を経たエンタメ界に対する影響にも言及しています。
よくエンタメはこういった時期に「不要不急」だと言われてきました。しかしそれは観客の目線でしかない、と言うことです。制作者にとっては仕事であり、労働なのです。アートというものは、その創造的行為が労働とはみなされなず、好きなことをしていると見られる。しかし労働である以上、理不尽な自粛を強いられていいものか。

著者の経歴を見ますと東京音楽大学出身です。なるほど音楽の解説が詳しいわけです。
そうして、音楽の芸術的・商業的側面に注目し、クラシック音楽とポピュラー音楽との関係について研究してきたということです。

さて、本の中でもちらっと触れられていることですが、メガ・ミュージカルの時代になってスペクタクルな、全編音楽の豪華舞台がヒットするようになりましたが、それが視覚的・聴覚的刺激が脚本の弱さをごまかしている、という批判があるということです。これに対して著者はスペクタクル的表現もまたミュージカルの創造性だと肯定的に見ているようです。

しかしそこは、私にはかなり気になる部分です。メガ・ミュージカルは日本でも再演を重ねて大人気の作品もたくさんあります。しかし私はそう何度も見に行く気にならない作品が多いです。私はどうしても舞台の芝居が好き。脚本がしっかりしていないといい舞台だと思えません。これはミュージカルでも同じで、私はミュージカルがいくらスペクタクルな表現や華麗な音楽に彩られていようと、根本は「芝居を見る」という感覚でいるのです。

お話自体は単純なものでもいいのです。私が気にするのは、筋が通ってなかったり矛盾があったり不自然だったり説明不足だったりご都合主義だったり、といった不完全なお話になってしまうことです。それが音楽のすばらしさに酔いしれて感動した気分になってしまう。そういった作品に対して警戒心が働いてしまうのです。

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