mixiユーザー(id:1940449)

2022年10月15日13:04

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相対主義について4

動画なしw

カントの道徳論と他の大きな差は
カントはその行為の動機に重きを置いたところにある
それはただ厳密なだけではなくて
表面上の行為に多くの人や自分自身が騙されないようにするためだ

言葉や字面の心地よさに持っていかれないように
よくその動機を考えなければならないということだ
「やらない前よりやった偽善」というが
その場合の偽善は 場合によってはとんでもない悪を生み出す
こと政治においてはその偽善によって 思ってもいない巨悪に引きずり込まれる
ナチスの「ユダヤ人は不公平に富を蓄える よってその不公平を正す」
という話も 当時の人々にとっては甘い言葉だ
よくよく考えれば ナチスの権力欲のためにその言葉を言ったわけで
動機は善そのものにはない
まー 現代の政治家は大体同じだw 選挙に通るためであれば致し方ないかもしれない
我々は為政者の動機そのものを十分にみなければならない 普通選挙制度を続ける限りはw

で 相対主義
「他人の考えることなんてわかんないよねー」
「まー人それぞれだよねー」
というのが基本にある相対主義
これは一見正しいように見える
事実 世界を覆っているのはこの相対主義だ

まあいいw 人ぞれぞれっていうのは現在の自由を謳歌する現代人にとって
順接につながる
しかし そこにはどんな意味でも理性はない
議論も話し合いもない
ただ 解決不能な人の中の乖離が起きる
そこに現代のソフィストが詭弁を以て現れる
そして偽善をやる
相対主義の世界では 表面に現れるわかりやすい偽善が目立つ
その結果 知らない間に自由が奪われることになる

自由はお互いの対話から生まれる
同時に自由なしでは対話も生まれない
相対主義は そこから一切の対話は生まれない
そこから生まれるのは 何の意味もない多数決だ
要は 多数決には「愛」はない

カミュの「異邦人」

主人公ムルソーはつまらない理由から人を殺した主人公は死刑を宣告され
司祭の祈りを拒絶した
彼に残された希望は 
公開処刑の日に大勢の見物人が憎悪の叫びをあげて自分を迎えることだけだった

彼は何も興味もない 愛を感じることもない
だが 最後に司祭の欺瞞を前に激怒する
システムが個人を断頭台に送るのも 司祭が懺悔を聞くのも同じことじゃないか
そこには何の誠実さもない
ただひたすら 民衆の憎悪が正しい
彼はそれを待っていたのだ
人の命という彼らが絶対視しているものが目の前で消えていくのを



終わりw





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